SSブログ

ビールのお勉強 [ぶらり]

20日にオフ会がございまして、なぜだか21日と言う日が消滅してしまったsuzuran6でございます。
で、本日(22日)はまたちゃんと出勤しております!!

以前「SAPPOROで★をさがす」 [次項有]その1 [次項有]その2で、ご紹介しました様に、★の本拠地で、少しお勉強してきましたので、まずは復習から・・・

1870(明治 3)年      「スプリング・バレー・ブルワリー」創業開始 横浜の山手居留地
1876(明治 9)年     「開拓使麦酒醸造所」創業開始 札幌
1877(明治10)年9 月   「冷製札幌ビール」販売開始
1884(明治17)年     「スプリング・バレー・ブルワリー」倒産
1887(明治20)年9月   「日本麦酒醸造会社」設立 東京都目黒区三田(現恵比寿)
1888(明治21)年2月   「札幌麦酒会社」設立 「開拓使麦酒醸造所」を民間会社化  
1888(明治21)年      ジャパン・ブルワリーがスプリング・バレー・ブルワリーの工場跡を買収
                「キリンビール」販売開始
1889(明治22)年    大阪麦酒会社設立 大阪吹田
1890(明治23)年     「恵比寿ビール」販売開始
1892(明治25)年5月  「アサヒビール」発売
1906(明治39)年    札幌麦酒・日本麦酒・大阪麦酒が合併「大日本麦酒株式会社」発足
1949(昭和24)年    過度経済力集中排除法により、大日本麦酒株式会社は、朝日麦酒株式会社と日本麦
                酒株式会社に分割
               日本麦酒株式会社は旧札幌麦酒と日本麦酒
               朝日麦酒株式会社は「アサヒビール」日本麦酒株式会社は「ニッポンビール」の商品名
1957(昭和32)年    「ニッポンビール」から「サッポロビール」へ商品名変更
1963(昭和38)年    「サントリービール」販売開始
1964(昭和39)年    日本麦酒株式会社から「サッポロビール株式会社」へ社名変更
1971(昭和46)年    「恵比寿ビール」が「ヱビスビール」として復活

大手の4社に限る内容ではありますが、これで、大雑把な日本のビールの歴史がお解かりいただけるかと・・・

で、なぜ、ビールのお勉強?(自分でも少しこの年表を整理したかったのもありまして・・・今後もう少しビジュアル的にもわかる様にしてゆきたい・・・と思います。)

はい、20日のオフ会は kinkinさん主催の「ビール工場見学オフ会」だったのです・・・
無題.png
キリンのHPより・・・どこから撮ったんだろう?(笑)

生麦1_R.JPG
出発は、いつもの田無駅、しかし、新宿方面のホームではなく・・・

生麦2_R.JPG
国分寺へ到着!!
普通の行き方じゃ面白くありませんので、本日は「田無~東村山~国分寺~八王子~横浜~生麦」
で、およそ、2時間の旅!!

生麦3_R.JPG
中央線で、八王子へ・・・

生麦4_R.JPG
駅名標の写真を撮り忘れても、これは逃しません!!

生麦5_R.JPG
かき揚げそば!!

生麦6_R.JPG
何年ぶりの横浜線?
今、こんな車両なんだ・・・

生麦7_R.JPG
結構乗る人いるんだなぁ~と思いつつ・・・
気が付くと・・・

生麦8_R.JPG
よこはまぁ~、たそがれぇ~、ホテルのぉ~こべやぁ~・・・と、頭の中で歌っていると・・・

となりのホームから
まちのあかりが、とてもきれいね、よこはまぁ~
と聞こえてまいりました。

生麦9_R.JPG
京急に乗り換えなくては・・・
なまむぎ・なまごめ・なまたまごっ・イェ~!!
と志村けんさんが頭の中で歌い始めてしまいました。

生麦10_R.JPG
各停に乗り・・・

生麦11_R.JPG
なまむぎ・なまごめ・なまたまごっ・イェ~!!
「生麦」到着!!

生麦12_R.JPG
プラプラと、この辺はずぅっと、したをむぅいて、あ~るこ~よ・・・

生麦13_R.JPG
横浜のマンホールの蓋を観察しながら

生麦14_R.JPG
皆さんが集まり、見学開始!!
綺麗なお姉さんのガイドにより、楽しく見学、しかしこの9名の団体さん、変な質問するものですから、やりづらかったでしょうね~。

生麦15_R.JPG
見学を終わり、試飲のビールで、気持ち良くなり「煙タイム」・・・

生麦16_R.JPG
記念撮影タイムが終わると・・・

「怪しい軍団です!!」

生麦17_R.JPG
ここへゆき、ジンギスカンタイム!!

生麦18_R.JPG
あら?バーベキュー・・・でも、全員試飲で気持ち良くなっておりますので、和気あいあい!!
誰も気にしておりませんでした(笑)

生麦19_R.JPG
ラム肉もあるし・・・

生麦20_R.JPG
かんぱぁ~い!!

生麦21_R.JPG
何杯飲んだかなぁ~
かなり、気持ちよくなって・・・

生麦駅近くで、2次会・・・
実はsuzuran6このあたりから、記憶が・・・
気が付くと山手線の「池袋!!」・・・本当は「高田馬場」・・・
めんどくさいので「西武池袋線」でいいや、と思ったのは記憶にあるのですが、知らない間に自宅近所に行くバスに乗っておりました。
で、次に気が付くと、布団の上、手にはペットボトルの「ファンタ」が・・・

で、そのまま9月21日と言う日をロスしてしまいました・・・


幹事のkinkinさん、どうもありがとうございました。
また、参加のみなさん、私、なにかご迷惑をおかけしませんでしたか?

さて、次は何処でお会いできますか?

今晩は★が飲めそうな体調です!!







ボチボチ再開・・・ [ぶらり]

今日は暑かったぁ~
そんな中を・・・久しぶりに、歩いてまいりました。
D81_2139_R.jpg
今度から、来たから撮る、じゃなlくて、三脚とか持って行って撮ってみようかなぁ~

D81_2245_R.jpg
路線短縮されたこれにも、遭遇!!

西武鉄道基準点1_R.jpg
今まで気付かなかった、こんな物を発見!!

西武鉄道基準点2_R.jpg
なんなんでしょうね?

RAJ1_R.jpg
いつもラーメンを食べてしまうのですが、今日は「香がプ~ン!!」引き寄せられてしまいました。

RAJ2_R.jpg
サラダと・・・

RAJ3_R.jpg
マトンカレーのセット、これで580円は嬉しいですね。

RAJ4_R.jpg
こんなメニューがありました。

食べ物ついでに・・・
甘辛肉巻おにぎり1_R.jpg
コンビニ「L」は40周年だそうで・・・
「金の・・・」がいろいろと・・・
これ買ってみました。

甘辛肉巻おにぎり2_R.jpg
味は、ボチボチ・・・200円くらいだったらなぁ~

鮭ハラミ弁当1_R.jpg
こちらはお弁当。

鮭ハラミ弁当2_R.jpg
骨・・・魚にあって当然なのですが、こういう事書かなきゃいけない時代なんですね

鮭ハラミ弁当3_R.jpg
確かに骨は多い!!
しかし、旨かったです・・・
これが、450円だったらスゴイ!!


北の国から_R.jpg
で、家でゴロゴロしていると、北の国の kattsu-mqc さんから、こんな物が・・・
さっそく「いっただっき、まぁ~す!!」



SAPPOROで★をさがす その2 [ぶらり]

前回、ビールの歴史だけを・・・すみませんm(_ _)m

今回はちゃんと、この「札幌ビール博物館」の建物と、そこに付いている★について・・・
1札幌ビール博物館.jpg
この建物が建ったいきさつには

かの有名な・・・
クラーク博士.jpg
この方が関係していたのです。そう「クラーク博士」

開拓使の北海道開拓。産業を起こし、人が集まり繁栄させてゆく。そのために色々と試行錯誤されていたのです。
そんな中に、幌内炭鉱が1879年(明治12年)から採掘を始め、鉄道が敷かれ(1883年明治16年幌内鉄道全通)、人が集まり、栄えていった・・・
その後どうなった?は横において・・・炭鉱が北海道の開拓を強く後押した・・・いや、牽引したことは確かです。

で、クラーク博士は?
ウィリアム・スミス・クラーク(フルネーム知らなかった)は、マサチューセッツ農科大学の第3代学長に就任。その当時大学は全米屈指のテンサイ製糖技術を持っており、クラークもテンサイの栽培を北海道へ定着させようという希望があった。
だそうで・・・札幌にも1888年(明治21年)「札幌製糖株式会社」が設立されたのです。
そうして、工場が1890年(明治23年)に完成したのですが・・・甜菜の栽培がうまく行かず・・・潰れちゃいました・・

・・ちなみに、クラークさんが札幌に居たのは1876年(明治9年)7月からの8か月間だけ(休暇を取って来ていた)、1877年5月にはアメリカに帰ってマサチューセッツ農科大学で働いております。・・・なので、もしかしたらこの事実クラークさんはしらなかったかも・・

そこで、近くでビールの製造が順調に推移していた「工場が手狭になって来たなぁ~、あ、開拓使さんのあの製糖工場潰れたんだべ?したっけ、おんなじ官営だったし、あのデッカイ建物、こっちに譲ってくれないべか?」と言ったかどうかはわかりませんが札幌麦酒醸造所がこの建物を使う様になったのです。
一つの産業としては失敗に終わった甜菜糖の製造、しかし、現在、道内で甜菜が栽培され「すずらん印」の砂糖が製造されている事実は、クラークさんの提案も役に立った・・・のでは・・・
クラークさんの無理やり甜菜糖工場・・・詳しく知りたい方は是非[次項有]お砂糖豆知識をどうぞ。楽しいです。
2札幌ビール博物館.jpg
と言ういきさつの建物です(笑)
1890年(明治23年)竣工 札幌製糖株式会社が製糖工場として使用開始
1903年(明治36年) 札幌麦酒醸造所が買収、製麦工場として使用開始

3札幌ビール博物館.jpg
北海道庁の竣工から、約2年後竣工のこの建物、どの★が製糖工場時代から付いていたのかは、残念ながらわかりません。しかし、まぎれもなく開拓使の意志を継ぐ★です。

4札幌ビール博物館.jpg

5札幌ビール博物館.jpg
北海道庁と同じ時期の煉瓦の建築物ではありますが、積み方が・・・
北海道庁は、白石の鈴木煉瓦などの地元の煉瓦を使い「フランス積」に対して、こちらの煉瓦はすべてイギリスから輸入し「イギリス積」しかも、すべてに連番で刻印がされているとの事。
基礎の作り方、材質なども違い、同じ所の発注でありながら、この違いは色々と想像(妄想?)でき楽しいところです。
まぁ、鉄族であるsuzuran6は煉瓦についてはこの程度として、あとは「あの方」とか「あの方」にお任せします(笑)

6札幌ビール博物館.jpg
窓の作りとか、材質とか北海道庁とはちがうんですよね。
北海道庁は道庁の日本人の設計、こちらはドイツ人技師による設計だそうです。

7札幌ビール博物館.jpg

8札幌ビール博物館 .jpg
各所の意匠は、似ている様に見えるのですが・・・

9札幌ビール博物館.jpg
★をさがしていたのですが、足場とシートが・・・

10札幌ビール博物館.jpg
一部ではありますが現在見ることができない部分があります。
博物館・ビアガーデンは通常通り営業しています。
煉瓦目的の方は状況確認の電話を入れるのが良いかと・・・

11札幌ビール博物館 .jpg

12札幌ビール博物館.jpg
色々と写したのですが、刻印的な物は、発見できておりません。

13札幌ビール博物館.jpg

14札幌ビール博物館.jpg
これは博物館として改装の時につくったのかなぁ~「麦とホップ」

15札幌ビール博物館.jpg
正門から入った所にある記念撮影スポット。この辺りにたむろしていた方々に身振り手振りでよけてもらいました。
「奈・ふ・ル・ば・製・ッ・麦」???

16札幌ビール博物館.jpg
なるほど!!

17札幌ビール博物館.jpg

18札幌ビール博物館.jpg
敷地の一角には鉄分補給が出来る所も・・・
まぁ、元々ここはJR北海道の苗穂工場に近く、鉄分が欠乏した時にはすぐに補給できるところではあります。

19札幌ビール博物館.jpg
この日、もう一か所工場見学いたしました。

20札幌ビール博物館.jpg
残念ながら、写真撮影はできなかったのですが・・・
suzuran6小学校以来の工場見学!!
新製品「雪ミルク」がガンガン製造されていました。
まだ、飲んだ事ないんです・・・

ココにも★があるんですよね。
yukijirusi.jpg

おまけ 随分前の写真ですが、参考資料として・・・
サッポロビール園.jpg

ジンギスカン.jpg

札幌ビール園ジョッキ.jpg
「札幌ビール博物館」の建物の半分は、こうなっているんですよ!!


札幌で★を探す・・・終

鮮度落ちを防ぐため、ながぁ~い記事をなんと2週に渡って連日投稿しておりましたが、疲れました・・・
でも「開拓使」の事、北海道の初期の事などを調べるのは結構楽しい事でした。

ボチボチいつものペースで、更新させて頂きます。

次は・・・何かなぁ~


SAPPOROで★をさがす その1 [ぶらり]

★めっけ!!1サッポロ.jpg
どうも、皆さんはこれを要求している様な気がして・・・
いや、それを感じます!!

今回は「SAPPOROを探す」とさせて頂きました。
2サッポロ.jpg
「札幌ビール博物館」です。
ここでは、無料で、お姉さんのガイド付きで★の歴史をたどる事が出来るんです。
suzuran6もちろん、お願いいたしました。
右側の亡霊の様にボワッといる方、国禁を犯し17歳の時にイギリスに渡り・・・密航1865年(慶応元)流れ流れてドイツでビールの醸造技術を学んだ・・・中川清兵衛さんです。
この方を題材に、朝の連続ドラマ作ったら、ビール売れるかなぁ~?

3サッポロ.jpg

4サッポロ.jpg

5サッポロ.jpg

6サッポロ.jpg
初期の瓶色々・・・さすがにsuzuran6見た事ございませんでした・・・

7サッポロ.jpg
これは興味がわきました。
同じデザインの中心に「エビス」「サッポロ」「アサヒ」それぞれのブランドのマークが・・・
特に真ん中の「サッポロラガー」のラベルは、現在の「赤星」とほとんど一緒です。

8サッポロ.jpg
時代は進み・・・「生」の瓶製品「サッポロ壜生」が1957年に発売されました。
東京、横浜などの都市部から発売、その後道内でも・・・
しかし、東京・横浜では、冬場の売り上げが伸び悩んだり・・・
でも冬の室内の暖房ガンガンの北海道では好調!!
その最初の瓶。ラベルが瓶に直接印刷されています。
茶色の瓶にビールが入ると黒く見えたところから「黒ラベル」と言われたとの話もあるそうです。
しかし「生」の味はまだ時期尚早だった様で・・・
1972年にはアルミの銀が鮮やかなラベルに変更。

10サッポロ.jpg
1989年に「黒ラベル」として発売された時のラベル。首の所の「生」のラベル「ラガー」との違いを強調したのですね

9サッポロ.jpg
現在の「黒ラベル」
エビスの歴史、クラシック誕生などなど、ネタはたくさんありますが・・・いつか、気が向いた時に・・・

11サッポロ.jpg
館内には、こんな懐かしい物も・・・みんなで、海に行くときなんかこれを抱えて・・・

12サッポロ.jpg
リボンシトロン・リボンナポリンのむかしのラベル、これ、しっかりと記憶にあります!!
suzuran6の実家に冷蔵庫と言う文明の利器が導入されたのは結構遅く、東京オリンピックの年にやっと白黒テレビを導入・・・しかし、コンビニほどではありませんが近所の商店街のお店は、朝6時頃から(起きたらあけてたんだろうなぁ~)やっていたり・・・酒屋は夜の10時くらいまでやっていたり・・・で、冷たい飲み物などは、飲むときに買ってくるので十分でした。
朝御飯の前に、二日酔いで気持ち悪い父親が、小学校にも入っていない三男坊に「サイダー買って来て・・・冷えているヤツ。(たしか、冷やす料金がとられていた様な・・・)」で、三男坊は「赤いサイダーもいい?」と、サイダーの空き瓶を買い物かごへ入れお使いに行っていたのでした。その時の記憶では、「三ツ矢サイダー」と「リボンシトロン」があり「リボンシトロン」のラベルが「古臭いなぁ~」と思っていたのでした。
このラベルを見て、記憶がよみがえりました。いつまで、このデザインだったのだろう?

13サッポロ.jpg
このラベルって「ニッポンビール」時代だけだったのかなぁ~

14サッポロ.jpg
こんな看板あちらこちらでみかけたなぁ~

15サッポロ.jpg
ラーメン屋さんとかで、水を出してくれたのはこんなグラスだったりして・・・

16サッポロ.jpg
いろんなポスターもありましたが、やはりこれが一番「男は黙って・・・」

18サッポロ.jpg
歴史年表みたいのが貼ってありました。
この、真ん中にある工場の写真は「札幌麦酒 吾妻橋工場」です。

吾妻橋.jpg
クリックするとかなりおおきくなります                  「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)より
左は明治42年の地図です。吾妻橋の所に工場のマークがありますが、ここが「札幌麦酒 吾妻橋工場」
今の地図(右)なんとそこに「金のウ〇コビールの泡のオブジェ」で有名な「アサヒビール」の本社が・・・
1906年(明治39年)に日本麦酒醸造(ヱビス)・大阪麦酒(アサヒ)と合併 大日本麦酒株式会社となり
1949年(昭和24年)過度経済力集中排除法及び企業再建整備法の適用を受け「日本麦酒株式会社」(サッポロ・エビス)と「朝日麦酒株式会社」(アサヒ)に分社、その際すべてを均等に分割、この工場が「朝日麦酒株式会社」のものとなったのでした。
この「金のビールの泡のオブジェ」を見たら、昔ここで「★」作っていたんだヨ!!と誰かに自慢してください(笑)

19サッポロ.jpg
札幌工場で使用していたビール仕込み用の「銅釜」(ホップの苦味や香りをつける工程などで用いる煮沸釜)
2011年(平成23年) 度重要科学技術史資料(愛称:未来技術遺産)として北海道で始めて登録されました。

20サッポロ.jpg
ここでは、有料試飲が出来ます。
「黒ラベル」「クラシック」「開拓使麦酒」がなんと200円(おつまみ付)!!
開拓使麦酒をいただきました。

21サッポロ.jpg
試飲させていただいたホールの照明・・・そこらじゅう「★」だらけ。

22サッポロ.jpg
今回suzuran6をマンツーマン(マウス・トゥ・マウスではない)で、案内していただいた「佐久間さん」
途中、美味しい缶ビールの注ぎ方を実演して頂いたのですが、それもしっかりとごちそうになりました!!
佐久間さんありがとうございました。

あら・・・「SAPPOROを探す」って、こんな★を探していたんでしたっけ?

次回はちゃんと主旨通りに「SAPPOROを探す」 その2 を・・・続く

・・・・・ヱビスビール記念館もいきたいなぁ~

おまけ・・羽田⇔札幌の旅費&ソコソコのホテルが 1泊2日で、2万円ちょいになる季節があるんですよね。
そんな時に団体さんで行って、ここで「ジンパ」(ジンギスカンパーティ)したら、たのしいだろうなぁ~

でもその前に「鱧」今年はどうしようかなぁ~



札幌で★をさがす 旧北海道庁 その2 [ぶらり]

旧北海道庁の続きです。
13 北海道庁.jpg
南側です。
ディテールがしっかりと「彫りが深い」感じです。

19 北海道庁.jpg
裏です。
なんだかこちらの面の方が私としてはいい感じです。
ここの面が、北大植物園の正門からズバッと見えるんです。
私は植物園からラーメンを食べに行ってしまいましたが、朝から「清華亭」~「北大植物園」~「旧北海道庁」これが、ちょうど良いかもしれませんね。・・・で「雪印パーラー」で、軽食を取り「時計台」・・・こんなルートで・・・

15 北海道庁.jpg
基礎部分には「札幌硬石」「焼過煉瓦」そうして、その上に普通の煉瓦・・・すべて地産地消です!!

あ、今までの木造建築の材木はなんと「青森」から運んで来た様です。・・・船かなぁ~
で、製材は札幌で蒸気動力のマシンで行った様です。

14 北海道庁.jpg
煙突ではなく「通気塔」だそうです。これ「八角塔」と共にいったん撤去されていたのですが、竣工当時の不鮮明な写真の煉瓦の個数を数えて、設計しなおして作ったそうです。いいデザインですよね。

16 北海道庁.jpg
で、北海道初代長官岩村通俊が「付ける!!」と言ってつけた「八角塔」
お偉いさんが言ったから付けたと言う事は、構造的にはかなり厳しかったでしょう。また、予算的にも・・・
一説によると、強い風が吹くとこの「八角塔」かなり揺れていたそうです。そんな事もあり。たった7年ほどで撤去してしまったのでは・・・(復原工事の際に計算してみるとここだけで120トン近くあったそうです。)
予算的な部分では、防火扉を削ってしまい・・・全焼・・・
今だったら北海道初代長官岩村通俊の責任問題になってしまいそうな話です。

18 北海道庁.jpg
・・・
あっ、しばらくサッポロラガー(赤星)飲んでないなぁ~

20 北海道庁.jpg

23 北海道庁.jpg
決して煉瓦フェチでは無いのですが、120年以上前からここにズゥッと建っている建物だと考えると・・・
しかし、残念な事に側面・裏面は黄色いロープが張ってあり近づけないんです。
煉瓦鑑賞に来る方はあらかじめどこかに許可を取っておかなければいけませんね。

25 北海道庁.jpg
館内は無料で、入れます。

26 北海道庁.jpg
じっくりと鑑賞・撮影したかったのですが・・・
少々、にぎやかな方々がおり・・・

27 北海道庁.jpg

28 北海同町.jpg
ササッと見学しただけでした。

DSCN9722_R.JPG
こんなものを、お土産に買ってまいりました。

DSCN9726_R.JPG
なかなか、資料性の高い部分も・・・

DSCN9724_R.JPG
刻印も探せばありそうですよ!!

suzuran6はあくまでも★を探しに来ていたので、今回はこのあたりで・・・

以前、ご紹介していた所[次項有]過去記事 
29 北海道庁.jpg
そこを、道庁側から歩こうと・・・
札幌舗装道路発祥の地 の看板と・・・

30 北海道庁.jpg
構造が・・・道路の歴史に興味のある方、ぜひどうぞ!!

その先からはなにやら、音楽が・・・
33 北海道庁.jpg
こんな、事書いてあるバスが・・・

31 北海道庁.jpg
その横には、いつもブログにお邪魔している やなぼーさん の大好きなパンダが・・・

道警音楽隊の演奏が行われておりました。
普段はごく普通の勤務をされながら、勤務時間外に練習をされているとの事「ご苦労様です!!」

煉瓦が目的の方には不満でしょうが、★を探している私にとっては満足!!

次回はいよいよ、最後の★!!

SAPPOROを探す・・・つづく










札幌で★をさがす 旧北海道庁 その1 [ぶらり]

1 北海道庁.jpg

2 北海道庁.jpg
なかなか、人気のスポットで、人がいない写真を撮るのには、根気がいります(笑)
どこも一緒の日本語率5割以下でした・・・

「札幌で★をさがす」ここまでは木造建築ばかりでした。

北方開拓の為に「開拓使」が札幌に置かれたのは1869年(明治2年)
茂辺地のレンガ工場は1872年(明治5年)、かろうじて、札幌硬石も同年に採掘がはじまっています。
まだ、札幌での資材調達は石と木材が主流となっていた様です。
ちなみに札幌軟石の採掘がはじまったのは1874年(明治7年)頃です。

鉄道はまだ無く・・・1880年11月28日に手宮~札幌が、開拓使の手によって開通・・・
資材を函館から運んで来るのは、大変な事でした。

札幌近辺での開拓が進み、レンガ工場が出来始め(1977年頃)いよいよ、木造ではなくレンガ建築が開始されたのでした。

北海道庁に関係する簡単な年表を・・・
1869年(明治2年)  7月 開拓使設置、蝦夷地を北海道と改称11国86郡を置く。
1880年(明治13年)11月 官営幌内鉄道 手宮~札幌 開通
1882年(明治15年) 8月 開拓使を廃止、札幌県・函館県・根室県の3県を設置
1886年(明治19年)    3県1局を廃止
1886年(明治19年) 1月 北海道庁設置
1886年(明治19年) 7月 着工(アメリカ風ネオバロックスタイル)
                 設計:平井清二郎、道庁土木課 施工:直営
1888年(明治21年)12月 北海道庁本庁舎として完成
1895年(明治28年)    八角塔、換気塔等を撤去(明治29年とする説もある)
1909年(明治42年) 1月 火災により外壁残し内部と屋根を焼失
1911年(明治44年)11月 復旧工事完成(ドイツ風ゴシックスタイルに変更)
                 設計:家田於菟之助、道庁土木課 工事請負人:篠原要次郎
1967年(昭和42年)12月 開拓使本庁舎跡及び赤れんが庁舎が国の史跡に指定
1968年(昭和43年)10月 復原改修工事完成
1969年(昭和44年) 3月 国の重要文化財に指定

デザインは「アメリカ風ネオ・バロック様式の建築」との事です。火災のあとで「ドイツ風ゴシックスタイルに変更」とありますので、この様式に関しては主に内装の事を指していると思われます。

開拓使.png
これは、現在「北海道開拓の村」に再現された「開拓使本庁舎」 (ウィキペディアより)
この開拓使本庁にもあった、(当時アメリカでは独立と進取のシンボルとしてドームを載せる建築様式が流行っていた・・・お抱えの外国人さんはほぼアメリカ人だった)ドーム(八角塔)を、北海道初代長官岩村通俊が「付ける!!」と言い(笑)付けたそうです。しかし「独立と進取」とは、結構危険な・・・

3 北海道庁.jpg

4 北海道庁.jpg

5 北海道庁.jpg

6 北海道庁.jpg

7 北海道庁.jpg
★はガンガン目に飛び込んできます!!

8 北海道庁.jpg

9 北海道庁.jpg

11 北海道庁.jpg

今までの「清華亭」「博物館」「豊平館」「時計台」の「瀟洒さ」とは、違う「威厳」が感じられます。
実は「旧北海道庁」の次に★を見つけたもう一つの煉瓦の建物との関係もなかなか、開拓魂というか、創意工夫というか・・・これは、もう一つの建物の時に・・・

ここの煉瓦(約250万個)は主に白石の「鈴木煉瓦」 月寒の「大久保煉瓦」などの物がが使われました。

札幌で★をさがす 旧北海道庁・・・続く


札幌で★をさがす 時計台 [ぶらり]

今回の 札幌で★をさがす。
おそらく、皆さん全員ご存じの、この建物!!
1 時計台_R.jpg
「時計台」

2 時計台_R.jpg
もう一丁「時計台」

なぜ、おんなじような写真を連続して・・・1枚目は道路一本挟んだ歩道の上から、2枚目はそこのあるビルの2階のオープンスペースから、なんです。

3 時計台_R.jpg
時計塔部分なのですが・・・

4 時計台_R.jpg
オープンスペースから撮ると、屋根の上の★がよりしっかりと見えます。

「日本三大がっかり」にランクインしておりますが、建物を見るだけで、訪れると確かにそうかもしれませんが、
建築当時からは少し移動しておりますが、ほぼそのままの位置に、あり、時計塔は当時のままの時計・鐘が鳴り続けている。
そんな事を知ってから、見学して頂ければ少しは興味が湧くのでは・・・

そこで・・・「札幌時計台が2時をお知らせいたします。」

午後2時なので、鳴っている回数は少ないのですが・・・必ず12回鳴る所も撮って参ります。お待ちください。

この鐘の音、今でこそビル群の中にあるので、遠くからは聞こえませんが、狼や羆が闊歩していた、明治の初期にどれだけ響いていたのか・・・雪が積もり雑音が聞こえなくなった、しばれる夜に聞こえる鐘の音・・・一度聞いていただければ「時計台っていいなぁ~」って思っていただけるかと・・・

7 時計台_R.jpg
★!

D81_1589_R.jpg
★!!

5 時計台_R.jpg
★!!!

手抜きと言えば手抜きなんですが、こちらをご覧ください[次項有]札幌市時計台
ここの、「知る」→「時計台のあゆみ」を見ていただければ、歴史・沿革が良く解るかと・・・


時計台 正面_R.jpg
植栽などではっきりと見る事が出来ない正面の図。


時計台 南側面2_R.jpg
で、こちらが南側側面からの図面・・・ではありません。

本当は・・・
時計台 南側面_R.jpg
こちらが、本当です・・・。
建築当時から「小さな鐘楼」はあったのですが、黒田清隆開拓長官の一声で時計塔の設置が決定。
1878年(明治11年)に建ったのち、1881年(明治14年)に時計が到着したのですが・・・
アメリカに時計を発注、到着してみると少しでかすぎて・・・
構造上の問題などもあり・・・少し、バランスが悪いんです・・・。

ミーハーな見学ではなく、是非歴史を感じる見学をしていただければと思います。

ビルの間ではなく、住宅地にあったりしたら、結構でかいんですよね。

今回の時計台紹介はこのあたりで、12回鐘が鳴るシーンと共にもっと詳しく時計台を紹介を、したい・・・なぁ~

で、次回は
D81_1879_R.jpg



札幌で★をさがす  豊平館 [ぶらり]

ここへは「すみれ」でラーメンを食べた後で、ぶらりと歩き「山鼻19条」と言う電停から、市電に乗り・・・
1 豊平館_R.jpg
この電停に降りました。横断歩道を渡り、カメラを用意しているうちに電車はいっちゃいました・・・

2 豊平館_R.jpg
で、反対方向の電車ですが・・・

ここに向かったのでした。
3 豊平館_R.jpg
電停の名前通り「中島公園」まではすぐです。

4 豊平館_R.jpg
「館平豊」ではなく「豊平館(ほうへいかん)」です。

1880年 今の大通に面する位置に高級西洋ホテルとして開拓使が建造した。
最初の利用者は明治天皇で、以後要人の宿泊、祝賀会、各種大会に用いられた。
後に公会堂となり、第二次世界大戦中に日本軍、戦後にアメリカ軍に接収された。
1958年 中島公園に移設され、以後は2012年3月まで市営の結婚式場として利用されていた。
国の重要文化財。                                  (ウィキペディアより)

イメージ的には開拓使の迎賓館的建物・・・と言うのでしょうか・・・

5 豊平館_R.jpg
綺麗な赤い!!

6 豊平館_R.jpg

8 豊平館_R.jpg
こちらにも。

9 豊平館_R.jpg
意匠があちらこちらに・・・
なんだか豪華です。

10 豊平館_R.jpg
全体像は?






ハイ、実は・・・
16 豊平館_R.jpg
現在、こう言う状態です。

17 豊平館_R.jpg
来年の3月まで、工事中なんです・・・

なので・・・
20 豊平館_R.jpg

19 豊平館_R.jpg
エントランス(ポーチ)部分などは、またの機会に取材させていただきます。

18 豊平館_R.jpg
現在の「豊平館」の前には池があり、なかなかいい感じなんですが・・・しかも、ペンキ塗りたて!!

バックのビルさえなければ、もっといい感じなんだけれど・・・

12 豊平館_R.jpg
池には・・・

13 豊平館_R.jpg
少し池に近づこうとすると・・・
こんなところにも・・・

14 豊平館_R.jpg
こちらに泳いで来て・・・

15 豊平館_R.jpg
上がってきました!!
私から、1mも離れていないところにトコトコと・・・

さらに、札幌で★をさがす  続きます。




札幌で★をさがす  北大植物園 その2 [ぶらり]

D81_1708_R.JPG

D81_1707_R.JPG
この状態だと、お化け屋敷的な・・・
今後手入れはされると思います。今回はまわりに「入っちゃダメ!!」のロープが張ってあり、近づけませんでした。

で、そのすぐ横の建物を見ると!!
D81_1710_R.JPG
★が!!

D81_1714_R.JPG
何処撮っているんんだ?って・・・

D81_1713_R.JPG
★があちらこちらに!!

D81_1712_R.JPG
★だけではなく、装飾もいろいろと・・・

D81_1715_R.JPG
窓もいいなぁ~

D81_1716_R.JPG
裏もちゃんと★!!

D81_1720_R.JPG
で、入っちゃダメな所には入っていないのに、先ほどの「バチェラー記念館」の入っちゃダメエリアに出てしまいました(笑)

D81_1722_R.JPG
正面に戻り、エントランス部分・・・城や寺の用な・・・力入ってますよね。

中に入ると
D81_1730_R.JPG
羆がお出迎え!!
この熊さんの説明を撮るの忘れていました・・・ 昔の札幌の羆については[次項有]こちらをどうぞ。ここに書かれている所って実家のすぐ近くなんです。

D81_1733_R.JPG

D81_1736_R.JPG
ひどい写真!!とお思いでしょうが、これ、ガラスが二重になっていて・・・
このワンコ、超有名な「タロ」です。そう、南極に行った・・・

D81_1737_R.JPG
あら、飲みに来ないと思ったら、銀狼さん、こんなところに・・・少し目つき悪くないですか?

D81_1738_R.JPG
二頭いたのですが、やはりガラスが・・・フィルターあればいいのかなぁ~
かろうじて撮れたのは、1879年に白石で捕獲された「エゾオオカミ」すでに絶滅してしまい、剥製として残っているは、ここだけなんです。
この「エゾオオカミ」の捕獲場所については[次項有]こちら をどうぞ。ここは、実家からは少し遠いのですが・・・狼君にとってはすぐ近くでしょうね。

また ここの[次項有]第4話 も参考になります。(第8話もおすすめ)

D81_1739_R.JPG
室内にも★がいっぱい!!
ここは、今も現役の「博物館」です。

D81_1740_R.JPG
正面からの写真まだでしたね。

D81_1726_R.jpg
この、案内板こんな角度でしか撮れませんでした・・・
クリックすると大きくなります。

ここに来た一番の目的は達成できました。
時間もそろそろ・・・ラーメンを食べに、と思い植物園を出ると・・・
D81_1743_R.JPG
そこには、旧北海道庁(赤レンガ)が・・・

D81_1744_R.JPG
一つ見つけちゃいました(笑)

でも、ラーメンの方が優先!!
と言うことでラーメン屋さんに向かったのでした。

札幌で★をさがす・・・続く


札幌で★をさがす  北大植物園 その1 [ぶらり]

札幌で★を探す・・・
前回の清華亭から10分も歩かなかった・・・そんな距離です。

北大植物園 くわしくは[次項有]こちら 

でも、今回のメインは「建物」ですので、あしからず・・・
植物園門衛所1_R.jpg
料金を払い、ゲートをくぐると
小さいけれども、いい感じの建物が・・・
「門衛所」です。

植物園門衛所2_R.jpg
小さな建物ですが、しっかりとデザインされています。

植物園門衛所3_R.jpg
かっこいいでしょう。

植物園門衛所4_R.jpg
建物には立派な案内看板が
でも、★はついていませんでした・・・

宮部記念館1_R.jpg
宮 部 金 吾 記 念 館

宮部記念館2_R.jpg
初代の園長 宮部金吾さんの功績・遺品、関連物などを展示しています。

宮部記念館_R.jpg
割とあっさりとした建物ですが、装飾などもほどこされており、いい感じです。
案内板は陽があたっており、ギラギラとしていて、撮影ができませんでしたm(__)m
★はありませんでした・・・

ライラック_R.jpg
この時はライラック祭りの期間中でした。
今年は、雪解け後の気温が高く推移したため、かなり早めに咲いてしまい、日陰などのが、枯れずに残っている状態でした。

ライラック3_R.jpg
これがポピュラーな色でしょうか?

ライラック2_R.jpg
ピンボケでしたが、植物園ですので・・・

次の建物を探してスタスタと歩いていると、誰かが私に話しかけている様な・・・
「あそこにいるの・・・」 「その立派なカメラで撮って・・・」そんな風に聞こえました。
で、行ってみると・・・
エゾリス1_R.jpg
300㎜でもこの程度・・・
エゾリスです。少し前までチョロチョロと走り回っていたそうです。
でも、大きな声で私を呼んだせいで?待機の姿勢になってしまったのでは(笑)

エゾリス2_R.jpg
3635万画素の力を信じて、超拡大!!トーン調整!!

先を急ぎます。
博物館倉庫1_R.jpg
しばらく歩くと、懐かしいタイプの建物が・・・
博物館倉庫
実家近所にあった牧場などにもこんな屋根の建物がありました。

博物館倉庫2_R.jpg
しかし、★はありません。

博物館倉庫3_R.jpg
移築されてからでも100年以上経っているんですね。

博物館付属便所1_R.jpg
まるで公衆トイレみたい・・・と思ったら・・・
付属博物館便所 でした。

博物館付属便所2_R.jpg
現役だったのです!! 入ればよかった・・・
でも、★はありません。

博物館事務所1_R.jpg
博物館事務所
この建物なんだかとてもいい感じじゃないですか?私、しっかりと眺めてしまいました。

博物館事務所2_R.jpg
基礎が煉瓦・・・日本全国の煉瓦ファンの皆さん「煉瓦です!!」

博物館事務所3_R.jpg
しかも、ツヤツヤの煉瓦です!!
高温で焼き、表面がツヤツヤになり耐水性が増した煉瓦!!

博物館事務所4_R.jpg
こんなところまで、オシャレ!!

博物館事務所5_R.jpg
で、私がとても気になったのは、屋根が瓦だと言う事。
基本的に、冬の積雪が原因で瓦屋根の建物など見た事が無いのですが、瓦なんです!!
少し調べてみると道庁の煉瓦を作った鈴木煉瓦(1884年創業)は1900年に耐寒屋根瓦を工夫して工字型熨斗瓦の名で特許を得、製造したとの事。年代的にぴったり!!
でもそれがどんな瓦で、ここで使われていたかは、確認できておりません。

また、実家の庭には・・・
瓦1_R.jpg
瓦が使われており・・・少なくとも50年以上前からありました。割れたりしてはいますが、小さい時の記憶では結構たくさんありました。

瓦2_R.jpg
似ているでしょう・・・でも、巴の向きが逆であったり、模様が全体的に細かったりで、違う物である事は確かですが、おそらく、鈴木煉瓦の流れの煉瓦・・瓦工場での製品である可能性が裏付けられました。

博物館事務所6_R.jpg
いい建物です!!

D81_1695_R.jpg
でも、★が・・・

その2へ続く・・・



この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。