新 西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その15 [西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切]
前回で田無第四号踏切までご紹介いたしました。今回は第五号踏切からです。
地図は再掲いたします。
田無第五号踏切
北側より
南側より
ここは、車などは渡れない踏切ですが、意外と自転車・歩行者の横断があります。
北側よりの撮影です。西武新宿発の列車がこの様に・・・午後になると正面には陽があたります。
田無第六号踏切
南側より、2015年の撮影です・・・ずいぶん時がたってしまいました・・・
これが今年撮影・・・踏切手前の両側に住宅が建ちました。
北側より、2015年撮影、踏切の向こうにタンクローリーがちらっと写っています。
ここに日本ガスの営業所があったんです。
すべてが住宅になっております。
このあたりsuzuran6は1992年頃このあたりに住んでいたのですが、小さな市場があったり、肉屋があったりしましたが、もうなくなっちゃっています。
踏切から花小金井方面を見ると左に発見!!キロポストです・・・また後日・・・
田無第七号踏切
南側より。
せまいです。
読み物がとても多いんです。
ここの踏切の北側には「人形劇団プークのアトリエ」があります。
南側より
人形劇団プークと踏切。
農耕作業用車両通るのかなぁ?
この踏切から、花小金井駅方面を見ると・・・
歩道橋が見えます。
線路沿いの道を行き、花小金井駅よりから、田無駅方面を振り返って・・・
この歩道橋は「花小金井小学校専用」の歩道橋なんです。
渡ってみたいのですが、渡れません。
田無第八号踏切
南・・・南西側から
ここの道は青梅街道から小金井街道へ混んでいる踏切を避けて通るにちょうどいい道ですので、そこそこ交通量があります。
景色的には真っ直ぐ伸びた道路のイメージですが・・・道路は微妙に曲がっている様な・・・
近付いて・・・
北側より
道路と踏切なんだかずれてません?
この踏切、午後になると正面に陽が当たりこんな写真が撮れます。
田無第九号踏切
北側の花小金井駅よりから・・・
微妙な道路と踏切の関係・・・
北側の田無駅よりから・・・
踏切のあと、道路はグニャリ・・・
南側から・・・
道路が踏切を境に曲がっているような・・・
踏切から花小金井駅はすぐですが「すぐそこに迫っている」訳でもありません。
気になりましたので、地図を・・・
現在の地図です。
第八号・第九号それぞれの踏切あたりを丸で示しました。
西武新宿線開通前1919年(大正8年)の地図です。
第八号・第九号それぞれの踏切あたりの道(現在の踏切のあたり)ですが、ほぼ直線のようです。
西武新宿線開通後1929年(昭和4年)・・・両方とも踏切あたりの道、曲がってます。
第八号踏切は当時から、地図で見るとそこそこの交通量の道のような感じでしたので、できる限り直角に近く交わる踏切にするために、少し道路をグニャリと曲げた事が想像出来ますが、
第九号踏切の道のグニャリはいまの所、理由が想像できません・・・
で・・・
田無第九号踏切のすぐ南側にこんなお店がありましたので・・・
チャーシュー麵頂きました!!
さて、いつ田無駅上りホームの取材をしても変な目で見られない世の中になってくれるでしょうか
?
航空写真は「国土地理院 地図・航空写真閲覧サービス」古地図は「今昔マップ」を使用しております。
地図は再掲いたします。
田無第五号踏切
北側より
南側より
ここは、車などは渡れない踏切ですが、意外と自転車・歩行者の横断があります。
北側よりの撮影です。西武新宿発の列車がこの様に・・・午後になると正面には陽があたります。
田無第六号踏切
南側より、2015年の撮影です・・・ずいぶん時がたってしまいました・・・
これが今年撮影・・・踏切手前の両側に住宅が建ちました。
北側より、2015年撮影、踏切の向こうにタンクローリーがちらっと写っています。
ここに日本ガスの営業所があったんです。
すべてが住宅になっております。
このあたりsuzuran6は1992年頃このあたりに住んでいたのですが、小さな市場があったり、肉屋があったりしましたが、もうなくなっちゃっています。
踏切から花小金井方面を見ると左に発見!!キロポストです・・・また後日・・・
田無第七号踏切
南側より。
せまいです。
読み物がとても多いんです。
ここの踏切の北側には「人形劇団プークのアトリエ」があります。
南側より
人形劇団プークと踏切。
農耕作業用車両通るのかなぁ?
この踏切から、花小金井駅方面を見ると・・・
歩道橋が見えます。
線路沿いの道を行き、花小金井駅よりから、田無駅方面を振り返って・・・
この歩道橋は「花小金井小学校専用」の歩道橋なんです。
渡ってみたいのですが、渡れません。
田無第八号踏切
南・・・南西側から
ここの道は青梅街道から小金井街道へ混んでいる踏切を避けて通るにちょうどいい道ですので、そこそこ交通量があります。
景色的には真っ直ぐ伸びた道路のイメージですが・・・道路は微妙に曲がっている様な・・・
近付いて・・・
北側より
道路と踏切なんだかずれてません?
この踏切、午後になると正面に陽が当たりこんな写真が撮れます。
田無第九号踏切
北側の花小金井駅よりから・・・
微妙な道路と踏切の関係・・・
北側の田無駅よりから・・・
踏切のあと、道路はグニャリ・・・
南側から・・・
道路が踏切を境に曲がっているような・・・
踏切から花小金井駅はすぐですが「すぐそこに迫っている」訳でもありません。
気になりましたので、地図を・・・
現在の地図です。
第八号・第九号それぞれの踏切あたりを丸で示しました。
西武新宿線開通前1919年(大正8年)の地図です。
第八号・第九号それぞれの踏切あたりの道(現在の踏切のあたり)ですが、ほぼ直線のようです。
西武新宿線開通後1929年(昭和4年)・・・両方とも踏切あたりの道、曲がってます。
第八号踏切は当時から、地図で見るとそこそこの交通量の道のような感じでしたので、できる限り直角に近く交わる踏切にするために、少し道路をグニャリと曲げた事が想像出来ますが、
第九号踏切の道のグニャリはいまの所、理由が想像できません・・・
で・・・
田無第九号踏切のすぐ南側にこんなお店がありましたので・・・
チャーシュー麵頂きました!!
さて、いつ田無駅上りホームの取材をしても変な目で見られない世の中になってくれるでしょうか
?
航空写真は「国土地理院 地図・航空写真閲覧サービス」古地図は「今昔マップ」を使用しております。
新 西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その14 [西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切]
再開しようと思ったら、世間が許してくれませんでした。本来であれば本編の「田無駅上りホーム」からなのですが、取材不足の状態ですので、それ以前より歩き始めていた田無~花小金井の「番外編 踏切」から、始めさせていただきます。
前回よりずいぶん日時が経っておりますので以前と同じような記事に仕上げる自信もありませんので「新」を付けてみました。「その〇」は通し番号です。
田無~花小金井間 2.3km「田9」田無第九号踏切までを確認しています
まずは、地図から・・・
西武新宿線の駅間距離は、西武新宿~高田馬場で2.0㎞ありますがそれ以降田無までは長くても1.3㎞でした。田無から先は少し長くなります(田無~花小金井は2.3㎞)。
青文字が現在も稼働中踏切、赤文字が不明です(6年前にも確認しておりました)。
「田2」田無第二号踏切から現存します。
田無第一号踏切はどこだったのでしょう?
1947年の航空写真です。①のあたりにあやしい痕跡が・・・
少し探して・・・
西武新宿線開通前。1917年の地図です。①のあたりにこの道があります。
1941年の航空写真です、細かく見るのにはこの時期の写真以降が可能です(古い物は不鮮明)
①の所は真っ直ぐではなく少し迂回するような形ですが、おおよそこのあたりのようです。
ちなみにこの時点では②に道路(踏切)は無いようです。
1927年の地図です。この年の4月に西武新宿線が開通しています。
1941年の航空写真とは違い、①の所にはっきりと道路が・・・
現在の地図です。これ以上の資料は発見できそうにないので、ここを「田無第一号踏切跡」としてしまいましょう。
西武新宿線南側より、怪しいあたりを・・・
もう少し寄って向こう側(北側)を・・・
1927年の地図を見ると、この道は主要な道路であったと思われます。
日本初の本格的な自動車生産は、白楊社のオートモ号が最初で、1925年製造開始で230台であったそうですから、せいぜい荷車、馬車が通る程度の道幅。それが、線路の向こう(北)側の道幅です(と、思います)。問題は線路高と道路面の段差。
隣の田無第三号踏切よりの写真です。赤線がおそらく田無第一号踏切のあったであろう場所。
両サイドの高低差が比較的低い様です。線路は開通時この写真の右側二本あたりで、田無駅の増線、待機線の設置、ホーム拡幅などが行われ、結果的に左側に線路が一本増えた形になっている様です。
さらに、待機線などの造成の際、路盤を少し堀下げた事も周辺写真などから予想できます。
それらを考えると、昔の踏切であれば、これくらいの高低差のある踏切も勾配で十分にクリアできるのではないでしょうか?1941年の写真の迂回的な踏切はその後もう少し高低差無しに渡れるようにしたかったために(人メインの踏切の場合けっこうある)取り回しではないかと思います。
あくまでも、勝手な考えです。もしなにかあれば、教えていただきたいとおもいます。
田無第二号踏切
北西方面より。
地図を見るとこのあたりもともとの街区(と言うより畑の区分)と線路が直角ではなく斜めに横切っているために踏切が斜め横断タイプになっています。
南側より。
住宅街の道です。
少し近づいて。
たまたま、人・車がいませんでしたが、結構人通りは多いんです。車もボチボチ。
大型乗用・貨物自動車等通行止めです。
田無第三号踏切
南側より・・・これ、6年前の写真です・・・
トリミングをしますと・・・
歩道橋が見えますよね。
上に登ると踏切を観察出来たんです(過去形です)。
2年ほど前に撤去されてしまいました。
最近、看板とかが無くなっていてよくわかりませんがシチズンの本社です。歩道橋はその前にありました。(Wikipediaでシチズンを検索すると、まだ歩道橋が写ってます)
踏切北側から田無方面で下り列車のこんな写真が撮れますが、晴れの日は建物の影が出て微妙です。
踏切南側から花小金井方面で上り電車が・・・晴れの日は午前中のみ正面に陽があたります。
田無第四号踏切
北側より。元々の地面に路盤を作り線路を敷いたためか、かまぼこ型踏切となっています。
大型車はお腹がつかえる危険がありますので、通行禁止です。
南側より。普通車でも雨の日は前輪(FF車)が線路にかかるとキュルッとスリップします。
踏切南側より花小金井駅方面、上り列車がこの様に、午前中であれば前面に陽が当たります。
幻の田無第一号踏切でボリュームがたっぷりになってしまいました。
新 西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その15へ続く
航空写真は「国土地理院 地図・航空写真閲覧サービス」古地図は「今昔マップ」を使用しております。
田無~花小金井間 2.3km「田9」田無第九号踏切までを確認しています
まずは、地図から・・・
西武新宿線の駅間距離は、西武新宿~高田馬場で2.0㎞ありますがそれ以降田無までは長くても1.3㎞でした。田無から先は少し長くなります(田無~花小金井は2.3㎞)。
青文字が現在も稼働中踏切、赤文字が不明です(6年前にも確認しておりました)。
「田2」田無第二号踏切から現存します。
田無第一号踏切はどこだったのでしょう?
1947年の航空写真です。①のあたりにあやしい痕跡が・・・
少し探して・・・
西武新宿線開通前。1917年の地図です。①のあたりにこの道があります。
1941年の航空写真です、細かく見るのにはこの時期の写真以降が可能です(古い物は不鮮明)
①の所は真っ直ぐではなく少し迂回するような形ですが、おおよそこのあたりのようです。
ちなみにこの時点では②に道路(踏切)は無いようです。
1927年の地図です。この年の4月に西武新宿線が開通しています。
1941年の航空写真とは違い、①の所にはっきりと道路が・・・
現在の地図です。これ以上の資料は発見できそうにないので、ここを「田無第一号踏切跡」としてしまいましょう。
西武新宿線南側より、怪しいあたりを・・・
もう少し寄って向こう側(北側)を・・・
1927年の地図を見ると、この道は主要な道路であったと思われます。
日本初の本格的な自動車生産は、白楊社のオートモ号が最初で、1925年製造開始で230台であったそうですから、せいぜい荷車、馬車が通る程度の道幅。それが、線路の向こう(北)側の道幅です(と、思います)。問題は線路高と道路面の段差。
隣の田無第三号踏切よりの写真です。赤線がおそらく田無第一号踏切のあったであろう場所。
両サイドの高低差が比較的低い様です。線路は開通時この写真の右側二本あたりで、田無駅の増線、待機線の設置、ホーム拡幅などが行われ、結果的に左側に線路が一本増えた形になっている様です。
さらに、待機線などの造成の際、路盤を少し堀下げた事も周辺写真などから予想できます。
それらを考えると、昔の踏切であれば、これくらいの高低差のある踏切も勾配で十分にクリアできるのではないでしょうか?1941年の写真の迂回的な踏切はその後もう少し高低差無しに渡れるようにしたかったために(人メインの踏切の場合けっこうある)取り回しではないかと思います。
あくまでも、勝手な考えです。もしなにかあれば、教えていただきたいとおもいます。
田無第二号踏切
北西方面より。
地図を見るとこのあたりもともとの街区(と言うより畑の区分)と線路が直角ではなく斜めに横切っているために踏切が斜め横断タイプになっています。
南側より。
住宅街の道です。
少し近づいて。
たまたま、人・車がいませんでしたが、結構人通りは多いんです。車もボチボチ。
大型乗用・貨物自動車等通行止めです。
田無第三号踏切
南側より・・・これ、6年前の写真です・・・
トリミングをしますと・・・
歩道橋が見えますよね。
上に登ると踏切を観察出来たんです(過去形です)。
2年ほど前に撤去されてしまいました。
最近、看板とかが無くなっていてよくわかりませんがシチズンの本社です。歩道橋はその前にありました。(Wikipediaでシチズンを検索すると、まだ歩道橋が写ってます)
踏切北側から田無方面で下り列車のこんな写真が撮れますが、晴れの日は建物の影が出て微妙です。
踏切南側から花小金井方面で上り電車が・・・晴れの日は午前中のみ正面に陽があたります。
田無第四号踏切
北側より。元々の地面に路盤を作り線路を敷いたためか、かまぼこ型踏切となっています。
大型車はお腹がつかえる危険がありますので、通行禁止です。
南側より。普通車でも雨の日は前輪(FF車)が線路にかかるとキュルッとスリップします。
踏切南側より花小金井駅方面、上り列車がこの様に、午前中であれば前面に陽が当たります。
幻の田無第一号踏切でボリュームがたっぷりになってしまいました。
新 西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その15へ続く
航空写真は「国土地理院 地図・航空写真閲覧サービス」古地図は「今昔マップ」を使用しております。
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 13 [西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切]
番外編 踏切 その 12 の続きです。
大きく寄り道をしてしまいました。
ちゃんと踏切を・・・
西武柳沢駅から、一本南の道を田無方面に歩くと・・・
「柳沢第1号踏切」
「柳1」です。
駅の方を見ると・・・
ホームからも良く見える所です。西武新宿線にしてみると、ホームと踏切の距離は余裕がある方ですかね。
田無方面を見ると、上り勾配・・・ここで青梅街道を跨いでいます。
開通当時よりの盛り土区間で、最初から青梅街道の上を通っていた様です。
踏切とホームの距離感はこんな感じ・・・
渡った北側より・・・
その北側を歩き・・
次の踏切へ・・・
車は通れません。
「柳沢第2号踏切」
踏切の右側には・・・
六角地蔵尊。
ここには「六角地蔵石幢」と書いてありますね。
青梅街道の中野の次の宿場町であった田無(西東京市)には、お地蔵さんなどが沢山あります。
西武バスの 境04/田43(武蔵境~田無~ひばりが丘)に 六角地蔵尊前 と言うバス停がありますが、全く違う所の別の 六角地蔵尊 です。お間違えなく。
西武柳沢方面。
西武柳沢駅。ここまでの勾配はまだ緩やかです。
ビョーンと寄って西武柳沢駅。
田無方面を見ると、上り勾配がはっきりと解ります。これで、青梅街道を跨ぎ、田無駅へと向かいます。
「柳2」
渡った南側より・・・
「柳2」の踏切を過ぎ、線路北側の道を歩いていると・・・
お米屋さんです!!
踏切は無いのですが・・・
このお米屋さんから線路の方を覗くと・・・
ここのすぐ先には「青梅街道」があり、線路はガーター橋で上を通っています。
50mほどしかはなれていませんので、わざわざここにこんな物を作らなくても・・・
なのですが・・・そこで、前回お見せした英語だらけの地図が登場です。
でも、この話は別の機会にいたします。
とりあえず次の踏切へと向かいます。
線路は青梅街道を跨ぎます。
現在のガーター橋は「昭和47年」と記されてます。
盛り土部分の横(南側)は通路となっています。
そこを抜けると・・・
これは踏切であった形跡はありません。
開業当時からの(鉄道連隊が造った)盛り土部分。
少し離れてみると・・・
盛り土が途中でPC高架になっています???
1971年(昭和46年)の航空写真を見ると・・・ クリックすると少し大きくなります
まだ、盛り土はつづいています。
また、踏切らしきものもありました。「柳沢第3号踏切」?
地図とも位置関係は合っています。
ここで、石神井川の流れ方も気にしておいて下さい。
1975年(昭和50年)の写真(端でしたがギリギリOKですよね)では・・・クリックすると少し大きくなります
盛り土が途中でPC高架に変わっています。
踏切は無くなり、そのあたり
石神井川の流れはそのまま・・・
この間の時期に青梅街道のガーター橋の架け替え(更新)及び「柳沢第3号踏切」の廃止、などが行われた様です。
2009年の写真です。クリックすると少し大きくなります
石神井川の流れがかわり(調節池になっています。
線露沿い築堤部分に変電所らしきものが出来・・・
「柳沢第3号踏切跡」のあたりに太めの道路が出来ています。
その変電所あたりから、線路を見るとなにやら怪しい白い柱がありました。
PC高架部分が始まっています。
このあたりは、おそらく地形的に石神井川が蛇行してしまい良く水があふれたのでしょうね。
また、下流での水害を防ぐためにもここを、調節池としたのでしょうね。普段は子供達のグランドとなっています。
西東京市内には、も一ヵ所この様な調節池があり普段は少年野球の練習場となっています。
で、なんだか解ってしまった・・・
旧「柳沢第3踏切」は現在、このガーター橋となり、下を新しい「武蔵境通り」の新道が下を通過しています。
ここも「昭和47年」となっていますが・・・近寄れませんでした・・・
南側の細い路地を歩き、到着。
やっと「田無駅」が見えてきました。
「柳沢第4号踏切」
南側から・・・
この踏切は「武蔵境通り」です。
北側から・・・
「柳4」です。
踏切から「西武柳沢方面」・・・
この線路を見ると駅は4線?と思ってしまいますが・・・
駅側を見ると、ポイントで合流、3線4面なんですね・・・
やっと、地元「田無駅」に到着です。
随分と地元に到着まで時間はかかかりましたが、間違いなく4回は歩き通していると思います。
これからがまだ遠いんですよね・・・
まぁじっくりと。行きます・・・
次回は、キロポスト・・・かなぁ~
大きく寄り道をしてしまいました。
ちゃんと踏切を・・・
西武柳沢駅から、一本南の道を田無方面に歩くと・・・
「柳沢第1号踏切」
「柳1」です。
駅の方を見ると・・・
ホームからも良く見える所です。西武新宿線にしてみると、ホームと踏切の距離は余裕がある方ですかね。
田無方面を見ると、上り勾配・・・ここで青梅街道を跨いでいます。
開通当時よりの盛り土区間で、最初から青梅街道の上を通っていた様です。
踏切とホームの距離感はこんな感じ・・・
渡った北側より・・・
その北側を歩き・・
次の踏切へ・・・
車は通れません。
「柳沢第2号踏切」
踏切の右側には・・・
六角地蔵尊。
ここには「六角地蔵石幢」と書いてありますね。
青梅街道の中野の次の宿場町であった田無(西東京市)には、お地蔵さんなどが沢山あります。
西武バスの 境04/田43(武蔵境~田無~ひばりが丘)に 六角地蔵尊前 と言うバス停がありますが、全く違う所の別の 六角地蔵尊 です。お間違えなく。
西武柳沢方面。
西武柳沢駅。ここまでの勾配はまだ緩やかです。
ビョーンと寄って西武柳沢駅。
田無方面を見ると、上り勾配がはっきりと解ります。これで、青梅街道を跨ぎ、田無駅へと向かいます。
「柳2」
渡った南側より・・・
「柳2」の踏切を過ぎ、線路北側の道を歩いていると・・・
お米屋さんです!!
踏切は無いのですが・・・
このお米屋さんから線路の方を覗くと・・・
ここのすぐ先には「青梅街道」があり、線路はガーター橋で上を通っています。
50mほどしかはなれていませんので、わざわざここにこんな物を作らなくても・・・
なのですが・・・そこで、前回お見せした英語だらけの地図が登場です。
でも、この話は別の機会にいたします。
とりあえず次の踏切へと向かいます。
線路は青梅街道を跨ぎます。
現在のガーター橋は「昭和47年」と記されてます。
盛り土部分の横(南側)は通路となっています。
そこを抜けると・・・
これは踏切であった形跡はありません。
開業当時からの(鉄道連隊が造った)盛り土部分。
少し離れてみると・・・
盛り土が途中でPC高架になっています???
1971年(昭和46年)の航空写真を見ると・・・ クリックすると少し大きくなります
まだ、盛り土はつづいています。
また、踏切らしきものもありました。「柳沢第3号踏切」?
地図とも位置関係は合っています。
ここで、石神井川の流れ方も気にしておいて下さい。
1975年(昭和50年)の写真(端でしたがギリギリOKですよね)では・・・クリックすると少し大きくなります
盛り土が途中でPC高架に変わっています。
踏切は無くなり、そのあたり
石神井川の流れはそのまま・・・
この間の時期に青梅街道のガーター橋の架け替え(更新)及び「柳沢第3号踏切」の廃止、などが行われた様です。
2009年の写真です。クリックすると少し大きくなります
石神井川の流れがかわり(調節池になっています。
線露沿い築堤部分に変電所らしきものが出来・・・
「柳沢第3号踏切跡」のあたりに太めの道路が出来ています。
その変電所あたりから、線路を見るとなにやら怪しい白い柱がありました。
PC高架部分が始まっています。
このあたりは、おそらく地形的に石神井川が蛇行してしまい良く水があふれたのでしょうね。
また、下流での水害を防ぐためにもここを、調節池としたのでしょうね。普段は子供達のグランドとなっています。
西東京市内には、も一ヵ所この様な調節池があり普段は少年野球の練習場となっています。
で、なんだか解ってしまった・・・
旧「柳沢第3踏切」は現在、このガーター橋となり、下を新しい「武蔵境通り」の新道が下を通過しています。
ここも「昭和47年」となっていますが・・・近寄れませんでした・・・
南側の細い路地を歩き、到着。
やっと「田無駅」が見えてきました。
「柳沢第4号踏切」
南側から・・・
この踏切は「武蔵境通り」です。
北側から・・・
「柳4」です。
踏切から「西武柳沢方面」・・・
この線路を見ると駅は4線?と思ってしまいますが・・・
駅側を見ると、ポイントで合流、3線4面なんですね・・・
やっと、地元「田無駅」に到着です。
随分と地元に到着まで時間はかかかりましたが、間違いなく4回は歩き通していると思います。
これからがまだ遠いんですよね・・・
まぁじっくりと。行きます・・・
次回は、キロポスト・・・かなぁ~
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 12 [西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切]
番外編 踏切12・・・
の前に・・・
前回の記事のコメントに、黄色がイメージ・・・など西武線の電車の色に触れられているのが目立ちました。
そこで・・・
調べてみました!!
今の所は黄色い電車の方がまだ多い様です。
コーラのCMを意識してみました
これは模型の写真ですが、現在の黄色一色のは、窓回りの色(ちょっと色合いが違いますが印刷のせい)ベージュであったり、さらにその前は赤が基調であったり・・・
そのあたりの記憶がある方はかなり私寄りの年利の方ですね(笑)
では、本題に・・・
昭和22年(1947)。
踏切は4つ、この区間は石神井川が削った所?で、線路北側の青梅街道も少し迂回している様な所です。
おそらく、それを避ける為に、土を盛り高架に・・・・そうして青梅街道は高架で跨ぎ・・・その少し右にもあやしい部分が・・・
昭和39年(1964 東京オリンピック!!)の写真、
この時もまだ踏切は4つ。
現在の地図。あら、踏切は3つ。
では・・・
と本題に入る前に妙に気になる事が・・・
昭和22年の写真は米軍撮影なのですが、田無駅が現在より④の踏切寄りである事に気付き、よぉ~く近辺を見ると・・・北口にあたる所が妙にガランとしているでは・・・
まずは、地図。駅北口の再開発も終わり、立派なロータリーが・・・
で・・・
昭和16年(1941)の田無駅付近。
駅右横が武蔵境通り、現在もこの道はあります。
駅、北側には住宅?商店?が程よくあります。
しかし
昭和22年(1947)米軍撮影のこのあたり・・・
北口の建物が・・・
拡大!!
再開発などと言う話があった時代ではありません。
まだまだ終戦直後・・・
そうして、最近中島飛行機を調べていてweb上に出てきた出てきたこの図・・・
見ヅらいかもしれませんが・・・
このあたり、中島飛行機のエンジンの工場などもあり、東京大空襲で、最大の被害が出た昭和20年(1945)3月10日のあと
同年の4月12日に田無駅付近で空襲があり50余名が亡くなられたそうです。
その時に、実質焼野原状態になってしまっていた様です。
この空襲では田無市内で130余名の方が亡くなられたそうです。
後日報告しいたしますが、田無駅のロータリーには「戦災記念碑」があるんです。
東京大空襲は クリックしてご覧ください。
3月10日が最大の空襲であった様で、この時期にこのあたりを調べる事になったのは、何か不思議な気持ちになっております。
そうしてこの様な地図も出て来ております。
昭和20年に米軍が作った地図。(クリックすると大きくなります)
今回はここまででした・・・
番外編 踏切のはずでしたが・・・
次回こそは・・・と言いつつも、この地図についても記して行きたいと思います。
の前に・・・
前回の記事のコメントに、黄色がイメージ・・・など西武線の電車の色に触れられているのが目立ちました。
そこで・・・
調べてみました!!
今の所は黄色い電車の方がまだ多い様です。
コーラのCMを意識してみました
これは模型の写真ですが、現在の黄色一色のは、窓回りの色(ちょっと色合いが違いますが印刷のせい)ベージュであったり、さらにその前は赤が基調であったり・・・
そのあたりの記憶がある方はかなり私寄りの年利の方ですね(笑)
では、本題に・・・
昭和22年(1947)。
踏切は4つ、この区間は石神井川が削った所?で、線路北側の青梅街道も少し迂回している様な所です。
おそらく、それを避ける為に、土を盛り高架に・・・・そうして青梅街道は高架で跨ぎ・・・その少し右にもあやしい部分が・・・
昭和39年(1964 東京オリンピック!!)の写真、
この時もまだ踏切は4つ。
現在の地図。あら、踏切は3つ。
では・・・
と本題に入る前に妙に気になる事が・・・
昭和22年の写真は米軍撮影なのですが、田無駅が現在より④の踏切寄りである事に気付き、よぉ~く近辺を見ると・・・北口にあたる所が妙にガランとしているでは・・・
まずは、地図。駅北口の再開発も終わり、立派なロータリーが・・・
で・・・
昭和16年(1941)の田無駅付近。
駅右横が武蔵境通り、現在もこの道はあります。
駅、北側には住宅?商店?が程よくあります。
しかし
昭和22年(1947)米軍撮影のこのあたり・・・
北口の建物が・・・
拡大!!
再開発などと言う話があった時代ではありません。
まだまだ終戦直後・・・
そうして、最近中島飛行機を調べていてweb上に出てきた出てきたこの図・・・
見ヅらいかもしれませんが・・・
このあたり、中島飛行機のエンジンの工場などもあり、東京大空襲で、最大の被害が出た昭和20年(1945)3月10日のあと
同年の4月12日に田無駅付近で空襲があり50余名が亡くなられたそうです。
その時に、実質焼野原状態になってしまっていた様です。
この空襲では田無市内で130余名の方が亡くなられたそうです。
後日報告しいたしますが、田無駅のロータリーには「戦災記念碑」があるんです。
東京大空襲は クリックしてご覧ください。
3月10日が最大の空襲であった様で、この時期にこのあたりを調べる事になったのは、何か不思議な気持ちになっております。
そうしてこの様な地図も出て来ております。
昭和20年に米軍が作った地図。(クリックすると大きくなります)
今回はここまででした・・・
番外編 踏切のはずでしたが・・・
次回こそは・・・と言いつつも、この地図についても記して行きたいと思います。
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 11 [西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切]
今回は、東伏見駅~西武柳沢駅間の踏切。
S22の航空写真。今回は現存する踏切は2つ。でも、この写真を見ると5つあった様です。
航空写真・地図はクリックすると大きく見ることが出来ます。
S38の航空写真。変化はない様です。
困りました。今までgooの地図を使わせて頂いて、重宝していたのですが、基本的にはこの3種を見ることが出来るのは都区内だけ・・・そろそろ限界の様です。
これからは、航空写真を探し出し、縮尺を合わせ・・・作業が煩雑になってしまいます。比較年度もまちまちになりそうです。
現在の地図です。 東伏見稲荷でご紹介した新しい道は記録されていません。
現存の踏切は、①と④の様です。
「東伏見第2号踏切」
北側より。
少し近づいて、東伏見駅の方を見てみました。
「伏1」
西武新宿行きの各停・準急が停車している時には踏切内からこの様な写真が撮れます。
南側から。
西武柳沢駅方面を見ると・・・
地形的にには東伏見駅を出た後、結構な起伏があります。
こんな勾配があったりします。
もう少し先に行くと・・・
無くなった②の近くなんですが、ちょっと西武柳沢駅方面にずれています。
どうもスッキリしません。
このあたりの線路は開通当時から、この程度の盛り土がされていたのでしょうか?
そのうちに調べる事といたします。
ここは、こんな勾配。
さらに線路沿いに歩き、突き当りになっている③と思われるあたり。
確かに風景的には踏切があってもおかしくない雰囲気ですが、線路が高い位置にあり、少々無理があるんです。
歴史を調べないと・・・
どうしても駄目なんです。もう少し牽き付けてから、シャッターを・・・とは思うもののビビッて早めのシャッター。
このあたりは結構飛ばして走っていますので・・・このあたりでしばらく修行でもしてみます。
東伏見稲荷で紹介した公園を抜けると、この踏切が見えてきます。
「東伏見第4号踏切」
北側より。右に見える警備員さんは、関東バスが、この踏切を渡らずに右折するのがルート(写真左から曲がり手前に来る)の為に誘導がお仕事です。
「伏4」
踏切より、東伏見駅方面。
ズームすると14キロポストが見えます。
西武柳沢駅方面。
北側より。
関東バスが吉祥寺方面へ向けて右折して行きます。
西武バスは、駅のロータリーに乗り入れていません。この踏切の所に「西武柳沢駅入口」のバス停があります。
このバスは、西武池袋線 大泉学園駅を経てJR吉祥寺に向かうバスです。
「東伏見第5号踏切」?
西武柳沢駅のホーム屋根が切れたあたり・・・8両編成分の屋根があります・・・その先の道が怪しいです。
その怪しい道から、ホームを見てみました。
怪しいでしょう。
南側のロータリーより。ホーム屋根が切れたあたりに、踏切があってもおかしくない感じですね。
本日、踏切が少ないので、おまけ。
おさんぽの途中「道草」
ムシャムシャと食べています。
真剣です。
金木犀の花びらがたくさん!!
これも美味しい様ですね。
S22の航空写真。今回は現存する踏切は2つ。でも、この写真を見ると5つあった様です。
航空写真・地図はクリックすると大きく見ることが出来ます。
S38の航空写真。変化はない様です。
困りました。今までgooの地図を使わせて頂いて、重宝していたのですが、基本的にはこの3種を見ることが出来るのは都区内だけ・・・そろそろ限界の様です。
これからは、航空写真を探し出し、縮尺を合わせ・・・作業が煩雑になってしまいます。比較年度もまちまちになりそうです。
現在の地図です。 東伏見稲荷でご紹介した新しい道は記録されていません。
現存の踏切は、①と④の様です。
「東伏見第2号踏切」
北側より。
少し近づいて、東伏見駅の方を見てみました。
「伏1」
西武新宿行きの各停・準急が停車している時には踏切内からこの様な写真が撮れます。
南側から。
西武柳沢駅方面を見ると・・・
地形的にには東伏見駅を出た後、結構な起伏があります。
こんな勾配があったりします。
もう少し先に行くと・・・
無くなった②の近くなんですが、ちょっと西武柳沢駅方面にずれています。
どうもスッキリしません。
このあたりの線路は開通当時から、この程度の盛り土がされていたのでしょうか?
そのうちに調べる事といたします。
ここは、こんな勾配。
さらに線路沿いに歩き、突き当りになっている③と思われるあたり。
確かに風景的には踏切があってもおかしくない雰囲気ですが、線路が高い位置にあり、少々無理があるんです。
歴史を調べないと・・・
どうしても駄目なんです。もう少し牽き付けてから、シャッターを・・・とは思うもののビビッて早めのシャッター。
このあたりは結構飛ばして走っていますので・・・このあたりでしばらく修行でもしてみます。
東伏見稲荷で紹介した公園を抜けると、この踏切が見えてきます。
「東伏見第4号踏切」
北側より。右に見える警備員さんは、関東バスが、この踏切を渡らずに右折するのがルート(写真左から曲がり手前に来る)の為に誘導がお仕事です。
「伏4」
踏切より、東伏見駅方面。
ズームすると14キロポストが見えます。
西武柳沢駅方面。
北側より。
関東バスが吉祥寺方面へ向けて右折して行きます。
西武バスは、駅のロータリーに乗り入れていません。この踏切の所に「西武柳沢駅入口」のバス停があります。
このバスは、西武池袋線 大泉学園駅を経てJR吉祥寺に向かうバスです。
「東伏見第5号踏切」?
西武柳沢駅のホーム屋根が切れたあたり・・・8両編成分の屋根があります・・・その先の道が怪しいです。
その怪しい道から、ホームを見てみました。
怪しいでしょう。
南側のロータリーより。ホーム屋根が切れたあたりに、踏切があってもおかしくない感じですね。
本日、踏切が少ないので、おまけ。
おさんぽの途中「道草」
ムシャムシャと食べています。
真剣です。
金木犀の花びらがたくさん!!
これも美味しい様ですね。
タグ:西武新宿線
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 10 [西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切]
久しぶりに、ネタを集めに行ってまいりました。
やっと動き回っても大丈夫そう?と思い歩きましたが、意外とムシムシしており、汗だくでした・・・
で、今回は「踏切 その10」 今回は武蔵関駅~東伏見駅
S22 の航空写真です。
これから見ると①~⑤までが読み取れます。 航空写真&地図は大きくなります。
S38 の航空写真。変わりない様です。
現在の地図。
踏切は5つの様です。
武蔵関駅のホームから東伏見駅方面を・・・
一気に4つの踏切が見えました。
「武蔵関第1号踏切」
踏切の北側より。
車は通れません。
「関1」です。
南側から、
踏切上から、東伏見駅方面。
地図をご覧になって頂ければ、解ると思いますが、踏切の下を「石神井川」がくぐっています。
「武蔵関第2号踏切」
ここは、石神井川と並走、南側に橋があります。その先は結構な坂道です。
「関2」
北側から。この道は新青梅街道と青梅街道を結ぶ結構重要な道です。
少し北側の坂道を上り、踏切方面をズームイン。石神井川が削った谷なんでしょうね。
黄色い電車が似合うんですよね
「武蔵関第3踏切」
北側より。右手の木々は「武蔵関公園」のものです。
車は通れません。
「関3」
道が見える角度で写すと・・・踏切の向こう側には橋(石神井川)その先は上り坂。
南側より・・・やはり向こう側の道、上り坂です。
公園の入り口。
西武鉄道は、ここでも地域貢献しているんですね。
公園が終わる所の階段、入口は道路よりツライチ(段差なし)
なのですが。ここはこんな階段「があります。
「武蔵関第4号」
南側より。この道の右側が練馬区。左側が西東京市です。
「関4」
この踏切から、武蔵関駅方面を写すと・・・
そこには13キロポストがありました。
北側より。
「武蔵関第5号踏切」
「関5」
久しぶりのちょっと都会っぽい踏切。
北側より。
南側より、ここも踏切はギリギリですね。
これで、東伏見駅に到達!!
駅と踏切が並びました(ホッ!!)
やっと動き回っても大丈夫そう?と思い歩きましたが、意外とムシムシしており、汗だくでした・・・
で、今回は「踏切 その10」 今回は武蔵関駅~東伏見駅
S22 の航空写真です。
これから見ると①~⑤までが読み取れます。 航空写真&地図は大きくなります。
S38 の航空写真。変わりない様です。
現在の地図。
踏切は5つの様です。
武蔵関駅のホームから東伏見駅方面を・・・
一気に4つの踏切が見えました。
「武蔵関第1号踏切」
踏切の北側より。
車は通れません。
「関1」です。
南側から、
踏切上から、東伏見駅方面。
地図をご覧になって頂ければ、解ると思いますが、踏切の下を「石神井川」がくぐっています。
「武蔵関第2号踏切」
ここは、石神井川と並走、南側に橋があります。その先は結構な坂道です。
「関2」
北側から。この道は新青梅街道と青梅街道を結ぶ結構重要な道です。
少し北側の坂道を上り、踏切方面をズームイン。石神井川が削った谷なんでしょうね。
黄色い電車が似合うんですよね
「武蔵関第3踏切」
北側より。右手の木々は「武蔵関公園」のものです。
車は通れません。
「関3」
道が見える角度で写すと・・・踏切の向こう側には橋(石神井川)その先は上り坂。
南側より・・・やはり向こう側の道、上り坂です。
公園の入り口。
西武鉄道は、ここでも地域貢献しているんですね。
公園が終わる所の階段、入口は道路よりツライチ(段差なし)
なのですが。ここはこんな階段「があります。
「武蔵関第4号」
南側より。この道の右側が練馬区。左側が西東京市です。
「関4」
この踏切から、武蔵関駅方面を写すと・・・
そこには13キロポストがありました。
北側より。
「武蔵関第5号踏切」
「関5」
久しぶりのちょっと都会っぽい踏切。
北側より。
南側より、ここも踏切はギリギリですね。
これで、東伏見駅に到達!!
駅と踏切が並びました(ホッ!!)
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 9 [西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切]
西武新宿線 全駅降りてみます 本編 東伏見駅
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 キロポスト 10㎞
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 上石神井
このバラツキの整理をしなければ・・・と言う事で、今回は「番外編 踏切」
S22の航空写真、現状を含めての番号付け、⑤がどうも怪しいです。
(今回も航空写真、地図は大きく見る事が出来ます)
S38の航空写真。武蔵関駅のホームが延長されたため?⑨の踏切も消滅しています。
現在の地図、この踏切が残っています。
現状7つの踏切、ここも多いですね。
「上石神井第1号踏切」
駅北側のロータリーから見た踏切。ホームがギリギリまで迫っている踏切ですが、上井草駅を見慣れてしまうと、大したことはありません。
賑やかな踏切です。
「石1」
閑散としている様に見えますが、普段はバス・乗用車・人がごった返しているのですが出来るだけ、それらが少ない時に写してみました。(南側より)
「上石神井第2号踏切」
「石2」
隣の踏切の通りも昔は賑やかであった様な雰囲気がある通りでした。
「上石神井第3号踏切」
「石3」
3つ目になると、雰囲気は住宅街に変わっています。
上石神井駅方面。11キロポストがありました。
武蔵関駅方面。まだポイントがありますが、あのポイントのあたりまで構内なのでしょうね。
「上石神井第4号踏切」
「石4」
車は通れません。
この様な小さな踏切が多いのは、西武新宿線の特徴なのでは?最近そう思えてきました。
「上石神井第6号踏切」
「石6」
「上石神井第5号踏切」は結構早いうちに無くなってしまった様ですね。
恐らく、車が通れない踏切が3つ続いたため真ん中の踏切が撤去されたのでは?
ここも車は通れません。
「上石神井第7号踏切」
「石7」
平らな畑の真ん中に線路を作ったのでしょう、踏切が少し高くなっています。(南側から)
たまぁに、寒くなるこの辺り、スタッドレスなど基本的にはかないこの地域、冬に結構動けなくなっている(踏切に到達できない)車がいるんです。
盛り上がっています。(北側から)
この写真もなんだかおかしな事になっていました(涙)
「上石神井第8号踏切」
「石8」
この踏切は、西武池袋線 大泉学園駅から、JR中央線吉祥寺駅を縦に結ぶバス(この辺りは西武バスが結構便利)が頻繁に行き来しています。
踏切から、武蔵関駅方面。もう、そこは駅です。
この先のホームに掛かっているあたりに⑨の踏切があった様です。
S22頃にはホームが短く、そこに踏切があった事と想像できます。
現在、上石神井駅以降(本川越方面)ホーム有効長は10両となっており、こう言った「元踏切?」が結構発生している様ですね。
ちなみに 西武新宿線 全駅降りてみます14 武蔵関 その1
参考頂ければ(写真の使い回しがばれてしまいますが・・・)と思います。
次回も「西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切」で、なんとか、東伏見駅に行きたいと思います。
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 キロポスト 10㎞
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 上石神井
このバラツキの整理をしなければ・・・と言う事で、今回は「番外編 踏切」
S22の航空写真、現状を含めての番号付け、⑤がどうも怪しいです。
(今回も航空写真、地図は大きく見る事が出来ます)
S38の航空写真。武蔵関駅のホームが延長されたため?⑨の踏切も消滅しています。
現在の地図、この踏切が残っています。
現状7つの踏切、ここも多いですね。
「上石神井第1号踏切」
駅北側のロータリーから見た踏切。ホームがギリギリまで迫っている踏切ですが、上井草駅を見慣れてしまうと、大したことはありません。
賑やかな踏切です。
「石1」
閑散としている様に見えますが、普段はバス・乗用車・人がごった返しているのですが出来るだけ、それらが少ない時に写してみました。(南側より)
「上石神井第2号踏切」
「石2」
隣の踏切の通りも昔は賑やかであった様な雰囲気がある通りでした。
「上石神井第3号踏切」
「石3」
3つ目になると、雰囲気は住宅街に変わっています。
上石神井駅方面。11キロポストがありました。
武蔵関駅方面。まだポイントがありますが、あのポイントのあたりまで構内なのでしょうね。
「上石神井第4号踏切」
「石4」
車は通れません。
この様な小さな踏切が多いのは、西武新宿線の特徴なのでは?最近そう思えてきました。
「上石神井第6号踏切」
「石6」
「上石神井第5号踏切」は結構早いうちに無くなってしまった様ですね。
恐らく、車が通れない踏切が3つ続いたため真ん中の踏切が撤去されたのでは?
ここも車は通れません。
「上石神井第7号踏切」
「石7」
平らな畑の真ん中に線路を作ったのでしょう、踏切が少し高くなっています。(南側から)
たまぁに、寒くなるこの辺り、スタッドレスなど基本的にはかないこの地域、冬に結構動けなくなっている(踏切に到達できない)車がいるんです。
盛り上がっています。(北側から)
この写真もなんだかおかしな事になっていました(涙)
「上石神井第8号踏切」
「石8」
この踏切は、西武池袋線 大泉学園駅から、JR中央線吉祥寺駅を縦に結ぶバス(この辺りは西武バスが結構便利)が頻繁に行き来しています。
踏切から、武蔵関駅方面。もう、そこは駅です。
この先のホームに掛かっているあたりに⑨の踏切があった様です。
S22頃にはホームが短く、そこに踏切があった事と想像できます。
現在、上石神井駅以降(本川越方面)ホーム有効長は10両となっており、こう言った「元踏切?」が結構発生している様ですね。
ちなみに 西武新宿線 全駅降りてみます14 武蔵関 その1
参考頂ければ(写真の使い回しがばれてしまいますが・・・)と思います。
次回も「西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切」で、なんとか、東伏見駅に行きたいと思います。
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 8 [西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切]
久しぶりに、番外編 踏切 上井草~上石神井です
S22年の航空写真。
(久しぶりな物で、①と矢印が上にずれてしまっております。後日修正いたします。)
ここは現在、踏切は3か所しかありませんが、S22には、4か所痕跡があります。
②の地点には踏切が有りませんが、?が2か所あります。
S38年の航空写真。
線路を斜めに横断していたものが、②の踏切を作り、現在の千川通りの形に、ここの改修で「?」2か所が「②」1つになった様です。
川・・・千川上水です、今はかなりの部分が暗渠になっています。
現在の地図。
千川通りの変遷も良く解りますね。
「上井草第1号踏切」
南側から。
ここは以前ご紹介した、ちょっとはみ出したホーム。
踏切上から、上石神井方面を見ると、すでにそこには、上石神井の留置線が見えます。
北側から。ホームがはみ出ています。
停車中の各駅停車ですが、白線からはみ出ている様に見えますが、気のせいでしょうか?
こちらは、おさまっています。
列車を間近で見たい方は是非この踏切へお越し下さい。
1号踏切から、千川通りに出て上石神井方面へ少し歩くと・・・
千川上水を線路が跨いでいます。S22頃の千川通りはこの方向に伸びていた様です。
「上井草第2号踏切」
踏切から、少し北へ歩いた所から踏切方面。
踏切を跨いで 千川通り「←ここから」「ここから→」と珍しい看板です。
踏切は、千川通りでは無いのでしょうか?
踏切上から、上井草駅方面。
上石神井方面。
さらに、千川通りを上石神井方面に歩きます。(距離はあまりありません)
これまた、以前ご紹介した「検修庫」が見えて来ます。
そこ小路を入って行くと・・・
どうしても覗きたくなりますね。
ここの祠、東伏見稲荷神社から・・・いろいろ調べているうちに納得。
「西武鉄道さんの為なら、喜んで!!」そんな声が聞こえて来そうですね。
「上井草第3号踏切」
南側から、歩行者専用踏切です。
北側から。
意外と、車両を間近で見る事が出来ないのは残念ですが、でも、そこから「覗く」感覚がまた楽しんです。
私にしては短い内容ですが、実はここから先の踏切の写真もたっぷりと用意していたのですが、例の画像の乱れ(取り込みミス?)により写真が不足してしまっており・・・
ボチボチ涼しくなって来ましたので、再撮影を始めます。
もうしばらくお待ち下さい。
S22年の航空写真。
(久しぶりな物で、①と矢印が上にずれてしまっております。後日修正いたします。)
ここは現在、踏切は3か所しかありませんが、S22には、4か所痕跡があります。
②の地点には踏切が有りませんが、?が2か所あります。
S38年の航空写真。
線路を斜めに横断していたものが、②の踏切を作り、現在の千川通りの形に、ここの改修で「?」2か所が「②」1つになった様です。
川・・・千川上水です、今はかなりの部分が暗渠になっています。
現在の地図。
千川通りの変遷も良く解りますね。
「上井草第1号踏切」
南側から。
ここは以前ご紹介した、ちょっとはみ出したホーム。
踏切上から、上石神井方面を見ると、すでにそこには、上石神井の留置線が見えます。
北側から。ホームがはみ出ています。
停車中の各駅停車ですが、白線からはみ出ている様に見えますが、気のせいでしょうか?
こちらは、おさまっています。
列車を間近で見たい方は是非この踏切へお越し下さい。
1号踏切から、千川通りに出て上石神井方面へ少し歩くと・・・
千川上水を線路が跨いでいます。S22頃の千川通りはこの方向に伸びていた様です。
「上井草第2号踏切」
踏切から、少し北へ歩いた所から踏切方面。
踏切を跨いで 千川通り「←ここから」「ここから→」と珍しい看板です。
踏切は、千川通りでは無いのでしょうか?
踏切上から、上井草駅方面。
上石神井方面。
さらに、千川通りを上石神井方面に歩きます。(距離はあまりありません)
これまた、以前ご紹介した「検修庫」が見えて来ます。
そこ小路を入って行くと・・・
どうしても覗きたくなりますね。
ここの祠、東伏見稲荷神社から・・・いろいろ調べているうちに納得。
「西武鉄道さんの為なら、喜んで!!」そんな声が聞こえて来そうですね。
「上井草第3号踏切」
南側から、歩行者専用踏切です。
北側から。
意外と、車両を間近で見る事が出来ないのは残念ですが、でも、そこから「覗く」感覚がまた楽しんです。
私にしては短い内容ですが、実はここから先の踏切の写真もたっぷりと用意していたのですが、例の画像の乱れ(取り込みミス?)により写真が不足してしまっており・・・
ボチボチ涼しくなって来ましたので、再撮影を始めます。
もうしばらくお待ち下さい。
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 7 [西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切]
今回は、番外編 踏切
下井草~井荻~上井草 少し長いかも?
でも距離はそんなにないんです。
めんどくさい方は軽くすっ飛ばしてごらん下さい(笑)
今回も航空写真、地図はクリックすると大きな画面でご覧になれます。
まずは、S22の航空写真。
⑤の踏切は、次のS38で、出て来ます。踏切の番号付けは、戦後しばらくしてから始まったのでしょうか?
S38の航空写真。
2つ目の①の踏切は、環八の踏切です。
⑤の踏切が出来ていますね。
現在の地図です。
環八に①と⑤の踏切が無くなっています。
「下井草第1号踏切」
「下井1」です。
「香源」の看板気になります。
今度トライしてみます。
この道は「旧早稲田通り」です。
その昔、環八の踏切があった時にはここの踏切が比較的空いていましたので結構お世話になりました。
踏切から、井荻方面を見て見ると、緩い下り勾配になっています。
「下井草第2号踏切」
「下井2」です。
線路部分が盛り上がった踏切です。
このタイプ積雪地域では、スリップしたりして大変なんですよね。
ボチボチの交通量がありました。
「下井草第3号踏切」
「下井3」
この踏切は車が通れないタイプです。
しかし、前後の道路を見ると昔は車も通れたのでは?と想像してしまいます。
井荻駅方面を見ると、そろそろ、駅が見えてきました。
「下井草第4号踏切」
「下井4」
住宅街の中の少し広めの踏切。
緑が豊富・・・
この踏切から、井荻駅通過中の急行列車。
この区間も、開通当時から、踏切の増減が無い所の様ですね。
続いて井荻駅から先に進みます。
「井荻第1号踏切」
「荻1」です。
・・・すみません、合成です。
「井荻第一号踏切」はかつて環状八号線が通っていた所です。
かつて、この踏切は環八が大渋滞する踏切として問題となって居ました。
ご存じの通り、現在この区間は「井荻トンネル」(1997.4開通)となり、踏切が解消された箇所です。
環八本線は地下トンネル、側道は高架で上を通っています。
高架となっている側道(北側からの撮影)
人は地下道をくぐります。エスカレーターもあります。
この地下道には駐輪場も併設されています。
環八本線はさらにこの下を通っています。
天井は低いのですが、以前ご紹介した 環七 とはずいぶん違う構造です。
近くにはこんな物がありました。最初かと思ってしまいました
「井荻第2号踏切」
「荻2」です。
車は通れない踏切です。この踏切も前後の道路幅は、せまくはありません。
で、この踏切から「上井草方面」を見ると「第5妙正寺川橋梁」の標識が見えます??
妙正寺川とは、鷺ノ宮駅を過ぎたあたりで、お別れしたはず、しかも妙正寺川は妙正寺(環八の内側)から・・・
現状の地図、新宿線をウネウネと2度横断しているあやしい道・・・遊歩道の様です。
S38の航空写真では、川に見えます。
古い地図を探してみた所1968年頃の「国土地理院」の地図ではここに「妙正寺川」と書いてあります
さらに調べると、解明できました
この現在遊歩道(暗渠)となっているここは「井草川」で「妙正寺川」の支流だそうです。
「第5妙正寺川橋梁」
「井荻第3号踏切」
「荻3」
なかなかすっきりとした道の踏切です。
井荻側に振り返ると「9キロポスト」があります。
下井草方面を見ると・・・「第6妙正寺川橋梁」が見えます。
微妙なアップダウンが魅力的な区間です。
「井荻第4号踏切」
「荻4」
住宅街の踏切、の感じです。
踏切から、井荻方面、黄色い柵の有る所が手前から「第6妙正寺川橋梁」「第5妙正寺川橋梁」
見えて来ました「上井草駅」
「井荻第5号踏切」あと・・・
S38の航空写真にはあった、この踏切、
以前お伝えした、ガンダムの聖地「サンライズ」のビルの奥がその場所の様です。
「井荻第6号踏切」
「荻6」
今の所雰囲気が一番お気に入りの「上井草駅」新宿方の踏切です。
何度もご紹介しました。
ギリギリの踏切です。
最近暑すぎて歩いていません。
根性出して取材の散歩しなくては…
下井草~井荻~上井草 少し長いかも?
でも距離はそんなにないんです。
めんどくさい方は軽くすっ飛ばしてごらん下さい(笑)
今回も航空写真、地図はクリックすると大きな画面でご覧になれます。
まずは、S22の航空写真。
⑤の踏切は、次のS38で、出て来ます。踏切の番号付けは、戦後しばらくしてから始まったのでしょうか?
S38の航空写真。
2つ目の①の踏切は、環八の踏切です。
⑤の踏切が出来ていますね。
現在の地図です。
環八に①と⑤の踏切が無くなっています。
「下井草第1号踏切」
「下井1」です。
「香源」の看板気になります。
今度トライしてみます。
この道は「旧早稲田通り」です。
その昔、環八の踏切があった時にはここの踏切が比較的空いていましたので結構お世話になりました。
踏切から、井荻方面を見て見ると、緩い下り勾配になっています。
「下井草第2号踏切」
「下井2」です。
線路部分が盛り上がった踏切です。
このタイプ積雪地域では、スリップしたりして大変なんですよね。
ボチボチの交通量がありました。
「下井草第3号踏切」
「下井3」
この踏切は車が通れないタイプです。
しかし、前後の道路を見ると昔は車も通れたのでは?と想像してしまいます。
井荻駅方面を見ると、そろそろ、駅が見えてきました。
「下井草第4号踏切」
「下井4」
住宅街の中の少し広めの踏切。
緑が豊富・・・
この踏切から、井荻駅通過中の急行列車。
この区間も、開通当時から、踏切の増減が無い所の様ですね。
続いて井荻駅から先に進みます。
「井荻第1号踏切」
「荻1」です。
・・・すみません、合成です。
「井荻第一号踏切」はかつて環状八号線が通っていた所です。
かつて、この踏切は環八が大渋滞する踏切として問題となって居ました。
ご存じの通り、現在この区間は「井荻トンネル」(1997.4開通)となり、踏切が解消された箇所です。
環八本線は地下トンネル、側道は高架で上を通っています。
高架となっている側道(北側からの撮影)
人は地下道をくぐります。エスカレーターもあります。
この地下道には駐輪場も併設されています。
環八本線はさらにこの下を通っています。
天井は低いのですが、以前ご紹介した 環七 とはずいぶん違う構造です。
近くにはこんな物がありました。最初かと思ってしまいました
「井荻第2号踏切」
「荻2」です。
車は通れない踏切です。この踏切も前後の道路幅は、せまくはありません。
で、この踏切から「上井草方面」を見ると「第5妙正寺川橋梁」の標識が見えます??
妙正寺川とは、鷺ノ宮駅を過ぎたあたりで、お別れしたはず、しかも妙正寺川は妙正寺(環八の内側)から・・・
現状の地図、新宿線をウネウネと2度横断しているあやしい道・・・遊歩道の様です。
S38の航空写真では、川に見えます。
古い地図を探してみた所1968年頃の「国土地理院」の地図ではここに「妙正寺川」と書いてあります
さらに調べると、解明できました
この現在遊歩道(暗渠)となっているここは「井草川」で「妙正寺川」の支流だそうです。
「第5妙正寺川橋梁」
「井荻第3号踏切」
「荻3」
なかなかすっきりとした道の踏切です。
井荻側に振り返ると「9キロポスト」があります。
下井草方面を見ると・・・「第6妙正寺川橋梁」が見えます。
微妙なアップダウンが魅力的な区間です。
「井荻第4号踏切」
「荻4」
住宅街の踏切、の感じです。
踏切から、井荻方面、黄色い柵の有る所が手前から「第6妙正寺川橋梁」「第5妙正寺川橋梁」
見えて来ました「上井草駅」
「井荻第5号踏切」あと・・・
S38の航空写真にはあった、この踏切、
以前お伝えした、ガンダムの聖地「サンライズ」のビルの奥がその場所の様です。
「井荻第6号踏切」
「荻6」
今の所雰囲気が一番お気に入りの「上井草駅」新宿方の踏切です。
何度もご紹介しました。
ギリギリの踏切です。
最近暑すぎて歩いていません。
根性出して取材の散歩しなくては…
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 6 [西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切]
番外編 踏切です。今回は、鷺ノ宮~下井草
S22 の航空写真。
写真から読み取ると、現在の番号と少し合わない所がありました。
仮に「?」としておきます。④と⑤の間です。ちなみに③と④の踏切の間が「西鷺ノ宮駅跡」です。
航空写真と地図はクリックすると大きな画面で見られます。
S38年の航空写真。
S22とかわりません。
現在の地図、変わりません!!
?の踏切を除くと、一つも無くなっていません!!
「鷺ノ宮第1号踏切」
この踏切は、青梅街道から、JR阿佐ヶ谷駅、西武新宿線鷺ノ宮、西武池袋線中村橋駅を繋ぐ「中杉通り」と言う道と交差しています。人通り、一般車、バスと通行量は多く、近隣に高校などもあり賑やかな踏切です。
さすがに「鷺」の文字は字画が多く、「サギ1」
3番線のホームが踏切ぎりぎりにあります。
特急以外の列車はすべて停車する駅ですので、列車本数が多い時間帯は結構渋滞してしまいます。
バス停が踏切を渡る前にあります。
この様に踏切を挟んでバスが停まっている光景は結構頻繁にみられます。
線路南側を歩き、鷺宮体育館の横を通り、団地の敷地を通り抜けると・・・
気付いてしまいました・・・
地名は「鷺宮」駅名は「鷺ノ宮」地名には「ノ」がありません!!
「鷺ノ宮第2号踏切」
「サギ2」
踏切直前までは車が通れる幅ですが、踏切はその半分程の幅。
人・自転車専用の踏切です。
北側から見た踏切。
道路には+の表示がありまるで交差点の様ですが、実際は車的にはT字路です。
すぐ近くにはレールが置かれています。と言うことはここも西武鉄道の敷地?
この様な写真を撮る事が出来ます。
「鷺ノ宮第3号踏切」
以前ご紹介した 過去記事 「西鷺ノ宮駅」の新宿方の踏切です。
線路が、スカッと見えます。
と言うことは・・・
写せます。
ただ、太陽はこの写真の右側に居る事がほとんどです。
夕方はどこに太陽がいるかはまだ確認しておりません。
変電所・旧ホームをバックに・・・
真っ直ぐの線路ってなんだか気持いいです。
「鷺ノ宮駅第4号踏切」
「サギ4」
この踏切はもともと交差点だった様です。
南側からです。
南側のもう一本の道路から・・・
北側から・・・
北側のもう一本の道路から・・・
初めて来た方には難しい道路です。
「鷺ノ宮第5号踏切」
久々に車が安心してすれ違える踏切です。
「サギ5」
線路は周囲の土地とつらいちの所に敷設された様で踏切部分がもり上がっています。
「鷺ノ宮第6号踏切」
「下井草駅」のホームが、見えます。
道幅は踏切の前後でしっかりと有るのですが、踏切部分だけが狭くなっており、自転車と人専用になっています。・・・井戸端会議にはもって来いのスペースです。
「サギ6」
ここにホームは見えますが駅入り口は、ずうっと向うですので乗降客とはちがいますので、のんびりした感じです。
南側からです。
ホームはぎりぎりですが、「上井草駅」とは違い停車中の車両と踏切の間には余裕があります。
もう一回位、番外編でいこうかなぁ~
なんて考えております。
S22 の航空写真。
写真から読み取ると、現在の番号と少し合わない所がありました。
仮に「?」としておきます。④と⑤の間です。ちなみに③と④の踏切の間が「西鷺ノ宮駅跡」です。
航空写真と地図はクリックすると大きな画面で見られます。
S38年の航空写真。
S22とかわりません。
現在の地図、変わりません!!
?の踏切を除くと、一つも無くなっていません!!
「鷺ノ宮第1号踏切」
この踏切は、青梅街道から、JR阿佐ヶ谷駅、西武新宿線鷺ノ宮、西武池袋線中村橋駅を繋ぐ「中杉通り」と言う道と交差しています。人通り、一般車、バスと通行量は多く、近隣に高校などもあり賑やかな踏切です。
さすがに「鷺」の文字は字画が多く、「サギ1」
3番線のホームが踏切ぎりぎりにあります。
特急以外の列車はすべて停車する駅ですので、列車本数が多い時間帯は結構渋滞してしまいます。
バス停が踏切を渡る前にあります。
この様に踏切を挟んでバスが停まっている光景は結構頻繁にみられます。
線路南側を歩き、鷺宮体育館の横を通り、団地の敷地を通り抜けると・・・
気付いてしまいました・・・
地名は「鷺宮」駅名は「鷺ノ宮」地名には「ノ」がありません!!
「鷺ノ宮第2号踏切」
「サギ2」
踏切直前までは車が通れる幅ですが、踏切はその半分程の幅。
人・自転車専用の踏切です。
北側から見た踏切。
道路には+の表示がありまるで交差点の様ですが、実際は車的にはT字路です。
すぐ近くにはレールが置かれています。と言うことはここも西武鉄道の敷地?
この様な写真を撮る事が出来ます。
「鷺ノ宮第3号踏切」
以前ご紹介した 過去記事 「西鷺ノ宮駅」の新宿方の踏切です。
線路が、スカッと見えます。
と言うことは・・・
写せます。
ただ、太陽はこの写真の右側に居る事がほとんどです。
夕方はどこに太陽がいるかはまだ確認しておりません。
変電所・旧ホームをバックに・・・
真っ直ぐの線路ってなんだか気持いいです。
「鷺ノ宮駅第4号踏切」
「サギ4」
この踏切はもともと交差点だった様です。
南側からです。
南側のもう一本の道路から・・・
北側から・・・
北側のもう一本の道路から・・・
初めて来た方には難しい道路です。
「鷺ノ宮第5号踏切」
久々に車が安心してすれ違える踏切です。
「サギ5」
線路は周囲の土地とつらいちの所に敷設された様で踏切部分がもり上がっています。
「鷺ノ宮第6号踏切」
「下井草駅」のホームが、見えます。
道幅は踏切の前後でしっかりと有るのですが、踏切部分だけが狭くなっており、自転車と人専用になっています。・・・井戸端会議にはもって来いのスペースです。
「サギ6」
ここにホームは見えますが駅入り口は、ずうっと向うですので乗降客とはちがいますので、のんびりした感じです。
南側からです。
ホームはぎりぎりですが、「上井草駅」とは違い停車中の車両と踏切の間には余裕があります。
もう一回位、番外編でいこうかなぁ~
なんて考えております。