西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 西武線 1日で全線乗ってみます [西武新宿線 全駅降りてみます]
西武線 1日で全線乗ってみます
とは・・・
以前、ご紹介しました。
1日フリーきっぷ
ふと、有効期限を見ると、今月いっぱい!!
使わなきゃ!!
これ、どこまで乗りつぶせるかなぁ?
で、本日無謀にも朝(ちょっとゆっくりですが)に出発。
目標は、このきっぷが、多摩川線を除いて全線乗車可能、と言うことですので「それを全線乗る!!」
突然ですので、当然ノープラン!!
まずは最寄の駅「田無駅」
来た列車に乗る!!拝島行きに乗りました。
最初の目的地は、一番遠い「西武秩父駅」
小平駅で、本川越行きに乗換。
所沢駅に到着。
そういえば、改装完成後初めてです。
そろそろお腹が空いてきました。狭山そばはどこに行った?
わぁお!!
空港みたい。
で「そば」は?
食べ物エリア発見!!
そば、発見出来ず・・・しかし、結末は・・・
あきらめて、飯能へ向かう為ホームへ・・・
西武新宿線ばかり乗っている者にとっては、池袋線を見ると不思議な景色です。
列車の写真は撮ってませんでした
東急さんの車両で、飯能に到着。
すぐに、向かいのホームの列車に乗り換え。
なぜだか、乗換は超スムーズ!!
途中こんな車両を見ながら・・・
また、途中、休日はお休みの2両増結車両。
景色が、かなり、長閑になっています。
このあたり単線ですので、特急列車との交換も・・・
真っ暗な動画です。
正丸トンネル通過
西武秩父に到着!!
ホームには「ちちぶ」がおりました。
終点なんですよね。
駅構内には「立ち喰いそば」ありませんでした。
仲見世には「秩父そば」がありましたが、ひそかに心に誓っていた「駅そば」しか食べない!!
が、あり我慢。
また、このあたり少し足を伸ばせば、赤い車に乗っている方がいつも美味しそうなものを食べているお店があるのですが、今日は「西武線 1日で全線乗って見ます」ですので・・・でも、お腹空いておりました・・・
この列車で、飯能駅へ戻る事にいたしました。
写真一杯になっちゃいましたので、次に続きます。
あ、そういえば、途中これに乗りました。あおたけさぁ~ん。乗りました!!
それと所沢駅で、無くなっちゃったと思った「狭山そば」乗ったエスカレーターの下にあったんです。あとで、発見いたしました。
とは・・・
以前、ご紹介しました。
1日フリーきっぷ
ふと、有効期限を見ると、今月いっぱい!!
使わなきゃ!!
これ、どこまで乗りつぶせるかなぁ?
で、本日無謀にも朝(ちょっとゆっくりですが)に出発。
目標は、このきっぷが、多摩川線を除いて全線乗車可能、と言うことですので「それを全線乗る!!」
突然ですので、当然ノープラン!!
まずは最寄の駅「田無駅」
来た列車に乗る!!拝島行きに乗りました。
最初の目的地は、一番遠い「西武秩父駅」
小平駅で、本川越行きに乗換。
所沢駅に到着。
そういえば、改装完成後初めてです。
そろそろお腹が空いてきました。狭山そばはどこに行った?
わぁお!!
空港みたい。
で「そば」は?
食べ物エリア発見!!
そば、発見出来ず・・・しかし、結末は・・・
あきらめて、飯能へ向かう為ホームへ・・・
西武新宿線ばかり乗っている者にとっては、池袋線を見ると不思議な景色です。
列車の写真は撮ってませんでした
東急さんの車両で、飯能に到着。
すぐに、向かいのホームの列車に乗り換え。
なぜだか、乗換は超スムーズ!!
途中こんな車両を見ながら・・・
また、途中、休日はお休みの2両増結車両。
景色が、かなり、長閑になっています。
このあたり単線ですので、特急列車との交換も・・・
真っ暗な動画です。
正丸トンネル通過
西武秩父に到着!!
ホームには「ちちぶ」がおりました。
終点なんですよね。
駅構内には「立ち喰いそば」ありませんでした。
仲見世には「秩父そば」がありましたが、ひそかに心に誓っていた「駅そば」しか食べない!!
が、あり我慢。
また、このあたり少し足を伸ばせば、赤い車に乗っている方がいつも美味しそうなものを食べているお店があるのですが、今日は「西武線 1日で全線乗って見ます」ですので・・・でも、お腹空いておりました・・・
この列車で、飯能駅へ戻る事にいたしました。
写真一杯になっちゃいましたので、次に続きます。
あ、そういえば、途中これに乗りました。あおたけさぁ~ん。乗りました!!
それと所沢駅で、無くなっちゃったと思った「狭山そば」乗ったエスカレーターの下にあったんです。あとで、発見いたしました。
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 地下化工事はじまる その2 [西武新宿線 全駅降りてみます]
西武新宿線の地下化工事の続きです。
またまた過去記事を・・・新井薬師前駅 その1 新井薬師前駅 その2
よろしければ、この記事を参照ください。 (また無精してしまいました)
沼袋から、ぷらーっと新井薬師前へ向けて歩きました。
中野通りとの踏切「新井薬師前第2号踏切」 から・・・ またまた過去記事 番外編 踏切 その 4
信号関係の配線が迂回しているのでしょうか?
さらに、新井薬師前へ向けて歩いていると、こんな標識も・・・
こんな感じ・・・
ホームへ入り、中井寄りにある歩道橋。
駅構内はまだ「工事」感はありませんが・・・
ホーム先端から、中井方面(中井第7号踏切)を見ると、左側の工事の囲いが・・・
このあたりが一番工事中の雰囲気が出ています。
新井薬師前駅~中井駅のカブリツキ画像です。
1:04あたりで妙正寺川を渡りますがその手前から地下へもぐる様です。
そのあたりはそのうち・・・と言う事で・・・
中井駅では、線路はそのままですが、駅が地下へ・・・そんな工事が行われています。
またまた過去記事 番外編 キロポスト その1
2番ホーム(新宿方面行き)の新宿寄りの先端付近、今この下あたりに新しい駅を作っているのですね。
ホーム中央付近まで行き、1番ホーム側を見ます。
このキロポストは残りそうです。
新井薬師前寄りのホーム先端から見ると・・・
工事の感じは全くしません。
跨線橋を渡って1番ホームへ・・・途中の窓から・・・
階段を下りたあたりにこの様な囲いが・・・小型の重機もあります。夜中になると活動開始なんでしょうね。
ご存じと思いますが、この駅は「山手通り」が上を通っていますが、ちょうどその高架の下に「北口」?が出来るわけです。
1番ホームから見た2番ホーム新宿寄りの先端・・・
上が「山手通り」
こんな、告知もありました。
1番ホーム新宿寄りの先端から全体を見ます。
利用者としては現在2番ホームを使う際には必ず階段の登り降りが必要ですので便利になるのかと思いますが・・・
現在、改札から踏切を渡り北へ向かう商店の行方は・・・どうなってゆくのかなぁ~
今後も要観察ですね。
またまた過去記事を・・・新井薬師前駅 その1 新井薬師前駅 その2
よろしければ、この記事を参照ください。 (また無精してしまいました)
沼袋から、ぷらーっと新井薬師前へ向けて歩きました。
中野通りとの踏切「新井薬師前第2号踏切」 から・・・ またまた過去記事 番外編 踏切 その 4
信号関係の配線が迂回しているのでしょうか?
さらに、新井薬師前へ向けて歩いていると、こんな標識も・・・
こんな感じ・・・
ホームへ入り、中井寄りにある歩道橋。
駅構内はまだ「工事」感はありませんが・・・
ホーム先端から、中井方面(中井第7号踏切)を見ると、左側の工事の囲いが・・・
このあたりが一番工事中の雰囲気が出ています。
新井薬師前駅~中井駅のカブリツキ画像です。
1:04あたりで妙正寺川を渡りますがその手前から地下へもぐる様です。
そのあたりはそのうち・・・と言う事で・・・
中井駅では、線路はそのままですが、駅が地下へ・・・そんな工事が行われています。
またまた過去記事 番外編 キロポスト その1
2番ホーム(新宿方面行き)の新宿寄りの先端付近、今この下あたりに新しい駅を作っているのですね。
ホーム中央付近まで行き、1番ホーム側を見ます。
このキロポストは残りそうです。
新井薬師前寄りのホーム先端から見ると・・・
工事の感じは全くしません。
跨線橋を渡って1番ホームへ・・・途中の窓から・・・
階段を下りたあたりにこの様な囲いが・・・小型の重機もあります。夜中になると活動開始なんでしょうね。
ご存じと思いますが、この駅は「山手通り」が上を通っていますが、ちょうどその高架の下に「北口」?が出来るわけです。
1番ホームから見た2番ホーム新宿寄りの先端・・・
上が「山手通り」
こんな、告知もありました。
1番ホーム新宿寄りの先端から全体を見ます。
利用者としては現在2番ホームを使う際には必ず階段の登り降りが必要ですので便利になるのかと思いますが・・・
現在、改札から踏切を渡り北へ向かう商店の行方は・・・どうなってゆくのかなぁ~
今後も要観察ですね。
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 地下化工事はじまる [西武新宿線 全駅降りてみます]
以前ご紹介した西武新宿線 中井~野方の地下化工事過去記事準備工事?が春から始まっている様です。
先日、その様子を少し記録して来ました。
まずは動画・・・
地下化後もそのまま残る野方駅から・・・ 野方駅~沼袋駅間 途中、おそらく信号系などのケーブルが黄色いチューブなどが見えるのですが動画ではあまり良くわかりませんね。
沼袋駅が工事開始した!!感が一番感じました。
今回の記事は沼袋駅 その1 沼袋駅 その2 を参照して頂くと助かります。(スミマセン)
踏切からの写真です。
この様に線路上を工事車両が通れる様に工事されていました。
2番ホーム(南口改札近く)から、1番線ホーム側を見ると、交番と駅入り口あたりに向かって、踏切が出来上がっていました。
その北口交番の前から・・・
店舗があった所が無くなっています。
そうして、その向かい側・・・
過去記事の「沼袋駅 その2」を見ていただくと解るのですが、あのユニークな公衆トイレが・・・
交番の真ん前で、変な格好で盗撮!!?
ナイッ!!
おそらくこのあたり、工事車両の出入りなどもあり、そのためにはこのトイレ邪魔だったんでしょうね。
ちょっと悲しいです。
氷川神社のあたりまで行くと、塀が造られていて、こんな看板が・・・
こんな看板も・・・この看板「読めません!!」と言う方の為にクリックすると大きくなります。
で、そのあたりで駅を振り返るとこんな感じ・・・
これは直接工事とは関係ありませんが(普段から置いてある、予備用のポイント?)
こんなに新しい線路の刻印初めて見ました。
で、続いて次の駅へ・・・ 沼袋駅~新井薬師駅
発車してすぐの左の塀に囲まれている所、ここに上記の看板があります。
せっかくですので・・・
沼袋駅の写真を撮って・・・お腹が空きまして。
駅南口から、少し歩くと妙正寺川があり、橋を渡ってすぐの所に・・・
こんなお店を発見!!
ほんと偶然・・・
博多ラーメンにチャーシュートッピング たぶん¥800だった気がします。
替え玉も当然ありました。
私こう言う「とんこつ」好きです。
ただ、くせ(人によってはクサイと感じるタイプ)がありますが・・・今度はライスも一緒に注文します!!
で、その2に続きます。
あ、最近ユーチューブ著作権厳しくなったんですかね?
聞けない曲が増えてしまいました。
先日、その様子を少し記録して来ました。
まずは動画・・・
地下化後もそのまま残る野方駅から・・・ 野方駅~沼袋駅間 途中、おそらく信号系などのケーブルが黄色いチューブなどが見えるのですが動画ではあまり良くわかりませんね。
沼袋駅が工事開始した!!感が一番感じました。
今回の記事は沼袋駅 その1 沼袋駅 その2 を参照して頂くと助かります。(スミマセン)
踏切からの写真です。
この様に線路上を工事車両が通れる様に工事されていました。
2番ホーム(南口改札近く)から、1番線ホーム側を見ると、交番と駅入り口あたりに向かって、踏切が出来上がっていました。
その北口交番の前から・・・
店舗があった所が無くなっています。
そうして、その向かい側・・・
過去記事の「沼袋駅 その2」を見ていただくと解るのですが、あのユニークな公衆トイレが・・・
交番の真ん前で、変な格好で盗撮!!?
ナイッ!!
おそらくこのあたり、工事車両の出入りなどもあり、そのためにはこのトイレ邪魔だったんでしょうね。
ちょっと悲しいです。
氷川神社のあたりまで行くと、塀が造られていて、こんな看板が・・・
こんな看板も・・・この看板「読めません!!」と言う方の為にクリックすると大きくなります。
で、そのあたりで駅を振り返るとこんな感じ・・・
これは直接工事とは関係ありませんが(普段から置いてある、予備用のポイント?)
こんなに新しい線路の刻印初めて見ました。
で、続いて次の駅へ・・・ 沼袋駅~新井薬師駅
発車してすぐの左の塀に囲まれている所、ここに上記の看板があります。
せっかくですので・・・
沼袋駅の写真を撮って・・・お腹が空きまして。
駅南口から、少し歩くと妙正寺川があり、橋を渡ってすぐの所に・・・
こんなお店を発見!!
ほんと偶然・・・
博多ラーメンにチャーシュートッピング たぶん¥800だった気がします。
替え玉も当然ありました。
私こう言う「とんこつ」好きです。
ただ、くせ(人によってはクサイと感じるタイプ)がありますが・・・今度はライスも一緒に注文します!!
で、その2に続きます。
あ、最近ユーチューブ著作権厳しくなったんですかね?
聞けない曲が増えてしまいました。
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 田無も戦場だった・・・ その2 [西武新宿線 全駅降りてみます]
TMS304号 1973/10 より。
川崎車両 1042~1944年製造 「K2」 全長6105㎜(D51は19730㎜、ホンダ オデッセイは4765㎜)
確定はできないのですが、鉄道聯隊・鍋が煙突に付いた様な・・・などのキーワードで想像すると、有力候補の車両です。
この機関車が、ゼロ戦のエンジンを積んだ貨車を牽いて走っていたのかぁ~と考えるとよりイメージが湧きます。
西武鉄道にも戦後在籍したとの事、現在津田沼に一両保存されているそうですので、いつかは行ってみなくては。
で、今回は 番外編 踏切13 で行った・・・
ここから・・・
この道に入ってゆきます。
本体改修されていますが、手前の擁壁は古そうです。
中から、青梅街道方面・・・
振り返ると・・・
青梅街道がわずかに見えます。
青梅街道側から、見ると・・・擁壁がいい雰囲気です・・・
ほぼ青梅街道に面した所から振り返ると・・・
写真が変な事になっていますが・・・(涙)
青梅街道を渡った所から・・・右の電柱&シャッターのあたり・・・
本日の主役 米軍の作った地図、スマホでご覧の方はご注意ください。
クリックすると、すんごく大きくなります!!
今回はここから、抜粋して、エンジンを運んだ路線をだどってみました。
また、このあたりに土地感のある方はぜひご家庭のPCで拡大してご覧になるといろいろとたのしいですよ。
まずは上の地図の真ん中の右側、中島飛行機の武蔵工場から、西武新宿線にかけて・・・
ここから先の地図・写真は少し大きく見ることができます
1944年の日本軍が写した航空写真に、路線図を合わせてみました。
1944年撮影ですので、もしかしたら・・・と思い拡大して見たのですが、残念ながら線路らしき物は発見できませんでした。
途中、列車交換が出来そうな所があります。
問題の新宿線との交差部分をくぐっています。
西武新宿線のこの高架部分、この線路の為に作った?・・・のではない様です。これ以前の航空写真にもこの高架部分は明らかに下を通れる様になっている様子が写っているんです。
ちなみに西武新宿線の高田馬場~東村山間は「鉄道聯隊」が工事をしたそうです。
軍はこの頃から「中島飛行機」との工場を武蔵野と田無へ持ってくるなんて考えていなかったはずですので、高架部分は、踏切の替わりとして作ったと考えるのが妥当かと思われます。
現在の地図に路線図を合わせてみました。
もともと、あっと言う間に造った路線、しかも2年も無かったわけですので現在の地図から当時を想像できる痕跡は発見できません。
また、もっと直線的に敷けなかった?とも考えるのですが、田無駅周辺、特に南側は石神井川が掘ったと思われる窪地となっていますので、鉄道にとっては厳しいと思われます。
また、新宿線との交差にもかなりの工事が必要となります。ここをくぐれば・・・そんな理由で、西武柳沢~田無間のここを通る路線を設定したのでは無いでしょうか。
続いて、西武新宿線を過ぎ、その途中まで。
米軍の地図です。
このあたりは、住宅・畑ばかりであったために、真っ直ぐに敷かれている様ですこちらも途中で列車交換ができる様になっていたのでしょうか?
現在の地図です。
こちらが目的地、田無工場です。
ここには西武池袋線「東久留米駅」からの引き込み線が来ていました。
左上に「田無町駅」(現ひばりが丘駅)がありますが、結構樹木が生い茂っていたんですね。
現在の地図。
現在も団地の建て替え、再開発で、微妙な道路の付け替えなどが行われており、数年後には、こんな道だったっけ?
と言う状態になりそうです。
今回でとりあえず、田無周辺の「戦争」の痕跡を探す内容は終わりとしますが、まだまだ気になる事はたくさんありますので、まとまった所で、西武新宿線・・・とは離れた記事として適宜アップして行きたいと思います。
尚、航空写真は「国土地理院 航空写真閲覧サービス」より探し出しております。 それぞれ、三枚の地図・写真はできる限り同じ縮尺になる様に重ねあわせながら調整しておりますが、特に航空写真のゆがみ、不鮮明な所が多いため、完全に一致してはおりませんので、ご了承ください。
西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 田無も戦場だった・・・ その1 [西武新宿線 全駅降りてみます]
今回も番外編
田無市と保谷市は2001年に合併し「西東京市」となっています。 なので、文中では、田無(西東京市)などの表記は省かせていただきます。
突然ですが「HOYA」って言う企業ご存じですか?
クリスタル食器などでもあの会社です。この「HOYA(ホーヤ)」は「保谷(ほうや)町」で1941年 東洋光学硝子製造所として創業。 光学ガラス製造に着手したそうです。
光学ガラス製造・・・軍需工場として・・・
また「住友重機械工業株式会社 田無製造所」が1939年にできており・・・
当製造所は、昭和13年に中島飛行機(株)荻窪製作所田無鋳鍛工場として発足し、戦前は航空機のエンジン部品の製造や完成したエンジンのテストを行っていました。太平洋戦争では、中島飛行機(株)武蔵製作所が航空機エンジンの27%を生産していたことから、米軍の爆撃対象となり、計9回の空襲を受けましたが、当社の建物は樹木が生い茂っていたため、爆弾の直撃を免れたと聞いております。したがって、当社では、戦後も緑の大切さを肝に銘じ、5000本を越える樹木の保存につとめてきました。その一部を「発想の森」と名付けて市民に一般開放しております。
http://www.tgn.or.jp/todenkyo/kigyo/kig_sumitomo.html
より、抜粋
昭和重工業株式会社 1936年・・・のちの豊和工業・・・現在も自衛隊に銃器等を供給している会社・・・
ここの敷地は戦後 石川島播磨・・・IHIのジェットエンジン工場として2006年まで稼働、現在は福島の相馬事業所他へ移管
シチズン時計株式会社・・・も1936年に工場ができ・・・現在本社は田無にあります。
ここも当然、零戦の計器類などを作れるわけで・・・(調べて解ったのは「横河電機」(本社武蔵野市)が計器を作っていた。シチズンが何を作っていたのかは今後の課題です。)
三共株式会社田無工場(食品工場)1940年・・・軍へ納めるイースト菌などを作っていた・・・
などなど、調べれば調べるほど、軍需工場がそこらじゅうにあった町らしいのです。
で、なぜsuzuran6がそんな事を書くのか?といいますと・・・
前回の西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 で触れましたが、踏切と踏切の間の怪しい小路について・・・記事としては最近ですが,ずいぶん前から噂は聞いていました。これは調べない訳には・・・と言う事になってしまったのです。
田無の北西部、あのファミリーレストラン発祥の地の「ひばりが丘」に大きな団地「ひばりが丘団地」と言うところがあります。現在は建て替え、再開発が進みつつあり、大変カッコいい街に変貌しつつあります。
このあたりに、「中島航空金属株式会社田無製造所(中島飛行機(株)荻窪製作所田無鋳鍛工場)」(現住友重機械工業株式会社 田無製造所)なるものがあり零戦のエンジンの部品などを作っておりました、さらに、武蔵工場(武蔵野市)で作られた零戦のエンジンの試運転なども行われていた。
この、2つの工場を結ぶ鉄道が存在していた・・・
ネットで検索すると、結構たくさん出てきます。その中でsuzuran6が一番参考にさせていただいているのがこちら
中島飛行機 簡易鉄道 その鉄道は確かに存在した
ここの中で、あの英語だらけの1946年(終戦翌年です!!)米軍作成の地図を知ったのです。
もともと、父親が地図大好きな先生で、中学生位から、国土地理院の2万5千分の1の地図を買いに行かされていたsuzuran6当然地図は大好きですので、その地図に釘付けとなったのはごく自然な事・・・
だって・・・
地図の下の方を見ると・・・「用語」ですね。
-in(院)も-ji(寺)もtemple とか、-kenも-toもprefecture とか、わくわくしませんか?
こちらは「凡例」
3'6'' と書いてあるのは軌間1067㎜の線路・・・で、今の西武線とかJR線がそれにあたります。
4'8 1/2'' と書いてあるのが軌間1435㎜の線路・・・で、新幹線などの広いヤツ
Narrowと書いてあるのはそれ以下で、いろいろあります。俗に軽便鉄道と言っている小柄な鉄道を指します。
それ以外にも、米軍が、日本の地図を素に、航空写真を組み合わせ、終戦後あっと言う間に作ってしまった様子がよくわかります。
玉川上水、現在の小平桜橋のあたりを中心に拡大してみました。
1946年の米軍作成の地図です。
「sakurazutsumi station」とあります。西武多摩湖線の「桜堤駅」1945年に休止、1953年に廃駅となっています。
その上に「water mill」とあります。この当時あちらこちらに水車を動力として使った工場があった様です。
その右には「stone」「wood」等橋の素材が明記されていたり・・・
「BARRACKS」と書いてある所は直訳で「兵舎,兵営」だそうです。
ここは戦前は「陸軍経理学校」だったそうで、戦後米軍に接収され、現在は「陸上自衛隊小平学校」となっている?様です。
見ていて飽きません!!
参考までに1947年の地図
2014年の地図
地図の話にそれてしまいました・・・
そんな地図を見ながら、色々と調べていると
こんな戦争体験記が・・・(抜粋してあります)
「中島には谷戸に田無試運転工場というのがあり、そこまで単線で、大急ぎで、慌ててつくったような線路が本工場から通っていました。私の実家は、角を切られてすぐ近くを列車が行き来していました。中島に爆弾が落ちたときに、その輸送線路が狙われて、兵隊さんが亡くなったりして、辛い思いをしました。それはとてもひどい空襲でした。」
全文はPDFをご覧ください。柳沢の空襲体験.pdfこの中にありました興味のある方はどうぞ。
武蔵野の空襲とその記憶
http://musashino.ficsc.jp/musashino/search.htm?key=%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%BD%93%E9%A8%93&tgt=search.htm
武蔵野市のホームページ内にありました。
また西東京市のホームページにも体験談がありました。
http://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/heiwa/taiken.html
いろいろと読んで、いろいろと考えてしまいました。
また、話がそれてしまいました・・・
体験記の抜粋した箇所にはっきりと「中島飛行機 簡易鉄道 その鉄道は確かに存在した」に関しての裏付けが記載されていました。
で、戦争の事ばっかり・・・とお思いでしょうが、以前も一度記事内(西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 12)で触れましたが、4月12日は
田無空襲の日なのです。
西武新宿線 全駅降りてみます 本編では次回に行く「田無駅」のロータリー内のここに・・・
この様な碑があります。
田無駅前は1996年に再開発が終了したのですが、その際この様な碑が造られたのです。
(西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 12)で紹介しました「田無空襲」によって命を落とした方々の慰霊のための観音様もこの一角にあったのですがこの碑の文中にもある様に再開発に際して、歩いて5分ほどの・・・
ここ、総持寺(慶安年間 1648~51年 に創建)に、移転されました。
今回はお寺さんの紹介ではありませんので・・・
ここに入ってすぐの所に・・・
この様に、ありました。
「碑」
「観音様」
このほか、以前ご紹介した「東伏見稲荷」に「中島飛行機武蔵工場」での戦災に会われた方々の慰霊碑もあるとの事・・・suzuran6気付きませんでした、後日、再訪してみます。
こんな記事ですが少しは心に留めていただければと思います。
次回は米軍作成の地図と航空写真で、「幻の簡易鉄道」をたどってみたいと思います。
田無市と保谷市は2001年に合併し「西東京市」となっています。 なので、文中では、田無(西東京市)などの表記は省かせていただきます。
突然ですが「HOYA」って言う企業ご存じですか?
クリスタル食器などでもあの会社です。この「HOYA(ホーヤ)」は「保谷(ほうや)町」で1941年 東洋光学硝子製造所として創業。 光学ガラス製造に着手したそうです。
光学ガラス製造・・・軍需工場として・・・
また「住友重機械工業株式会社 田無製造所」が1939年にできており・・・
当製造所は、昭和13年に中島飛行機(株)荻窪製作所田無鋳鍛工場として発足し、戦前は航空機のエンジン部品の製造や完成したエンジンのテストを行っていました。太平洋戦争では、中島飛行機(株)武蔵製作所が航空機エンジンの27%を生産していたことから、米軍の爆撃対象となり、計9回の空襲を受けましたが、当社の建物は樹木が生い茂っていたため、爆弾の直撃を免れたと聞いております。したがって、当社では、戦後も緑の大切さを肝に銘じ、5000本を越える樹木の保存につとめてきました。その一部を「発想の森」と名付けて市民に一般開放しております。
http://www.tgn.or.jp/todenkyo/kigyo/kig_sumitomo.html
より、抜粋
昭和重工業株式会社 1936年・・・のちの豊和工業・・・現在も自衛隊に銃器等を供給している会社・・・
ここの敷地は戦後 石川島播磨・・・IHIのジェットエンジン工場として2006年まで稼働、現在は福島の相馬事業所他へ移管
シチズン時計株式会社・・・も1936年に工場ができ・・・現在本社は田無にあります。
ここも当然、零戦の計器類などを作れるわけで・・・(調べて解ったのは「横河電機」(本社武蔵野市)が計器を作っていた。シチズンが何を作っていたのかは今後の課題です。)
三共株式会社田無工場(食品工場)1940年・・・軍へ納めるイースト菌などを作っていた・・・
などなど、調べれば調べるほど、軍需工場がそこらじゅうにあった町らしいのです。
で、なぜsuzuran6がそんな事を書くのか?といいますと・・・
前回の西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 で触れましたが、踏切と踏切の間の怪しい小路について・・・記事としては最近ですが,ずいぶん前から噂は聞いていました。これは調べない訳には・・・と言う事になってしまったのです。
田無の北西部、あのファミリーレストラン発祥の地の「ひばりが丘」に大きな団地「ひばりが丘団地」と言うところがあります。現在は建て替え、再開発が進みつつあり、大変カッコいい街に変貌しつつあります。
このあたりに、「中島航空金属株式会社田無製造所(中島飛行機(株)荻窪製作所田無鋳鍛工場)」(現住友重機械工業株式会社 田無製造所)なるものがあり零戦のエンジンの部品などを作っておりました、さらに、武蔵工場(武蔵野市)で作られた零戦のエンジンの試運転なども行われていた。
この、2つの工場を結ぶ鉄道が存在していた・・・
ネットで検索すると、結構たくさん出てきます。その中でsuzuran6が一番参考にさせていただいているのがこちら
中島飛行機 簡易鉄道 その鉄道は確かに存在した
ここの中で、あの英語だらけの1946年(終戦翌年です!!)米軍作成の地図を知ったのです。
もともと、父親が地図大好きな先生で、中学生位から、国土地理院の2万5千分の1の地図を買いに行かされていたsuzuran6当然地図は大好きですので、その地図に釘付けとなったのはごく自然な事・・・
だって・・・
地図の下の方を見ると・・・「用語」ですね。
-in(院)も-ji(寺)もtemple とか、-kenも-toもprefecture とか、わくわくしませんか?
こちらは「凡例」
3'6'' と書いてあるのは軌間1067㎜の線路・・・で、今の西武線とかJR線がそれにあたります。
4'8 1/2'' と書いてあるのが軌間1435㎜の線路・・・で、新幹線などの広いヤツ
Narrowと書いてあるのはそれ以下で、いろいろあります。俗に軽便鉄道と言っている小柄な鉄道を指します。
それ以外にも、米軍が、日本の地図を素に、航空写真を組み合わせ、終戦後あっと言う間に作ってしまった様子がよくわかります。
玉川上水、現在の小平桜橋のあたりを中心に拡大してみました。
1946年の米軍作成の地図です。
「sakurazutsumi station」とあります。西武多摩湖線の「桜堤駅」1945年に休止、1953年に廃駅となっています。
その上に「water mill」とあります。この当時あちらこちらに水車を動力として使った工場があった様です。
その右には「stone」「wood」等橋の素材が明記されていたり・・・
「BARRACKS」と書いてある所は直訳で「兵舎,兵営」だそうです。
ここは戦前は「陸軍経理学校」だったそうで、戦後米軍に接収され、現在は「陸上自衛隊小平学校」となっている?様です。
見ていて飽きません!!
参考までに1947年の地図
2014年の地図
地図の話にそれてしまいました・・・
そんな地図を見ながら、色々と調べていると
こんな戦争体験記が・・・(抜粋してあります)
「中島には谷戸に田無試運転工場というのがあり、そこまで単線で、大急ぎで、慌ててつくったような線路が本工場から通っていました。私の実家は、角を切られてすぐ近くを列車が行き来していました。中島に爆弾が落ちたときに、その輸送線路が狙われて、兵隊さんが亡くなったりして、辛い思いをしました。それはとてもひどい空襲でした。」
全文はPDFをご覧ください。柳沢の空襲体験.pdfこの中にありました興味のある方はどうぞ。
武蔵野の空襲とその記憶
http://musashino.ficsc.jp/musashino/search.htm?key=%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%BD%93%E9%A8%93&tgt=search.htm
武蔵野市のホームページ内にありました。
また西東京市のホームページにも体験談がありました。
http://www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/heiwa/taiken.html
いろいろと読んで、いろいろと考えてしまいました。
また、話がそれてしまいました・・・
体験記の抜粋した箇所にはっきりと「中島飛行機 簡易鉄道 その鉄道は確かに存在した」に関しての裏付けが記載されていました。
で、戦争の事ばっかり・・・とお思いでしょうが、以前も一度記事内(西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 12)で触れましたが、4月12日は
田無空襲の日なのです。
西武新宿線 全駅降りてみます 本編では次回に行く「田無駅」のロータリー内のここに・・・
この様な碑があります。
田無駅前は1996年に再開発が終了したのですが、その際この様な碑が造られたのです。
(西武新宿線 全駅降りてみます 番外編 踏切 その 12)で紹介しました「田無空襲」によって命を落とした方々の慰霊のための観音様もこの一角にあったのですがこの碑の文中にもある様に再開発に際して、歩いて5分ほどの・・・
ここ、総持寺(慶安年間 1648~51年 に創建)に、移転されました。
今回はお寺さんの紹介ではありませんので・・・
ここに入ってすぐの所に・・・
この様に、ありました。
「碑」
「観音様」
このほか、以前ご紹介した「東伏見稲荷」に「中島飛行機武蔵工場」での戦災に会われた方々の慰霊碑もあるとの事・・・suzuran6気付きませんでした、後日、再訪してみます。
こんな記事ですが少しは心に留めていただければと思います。
次回は米軍作成の地図と航空写真で、「幻の簡易鉄道」をたどってみたいと思います。
西武新宿線 全駅降りてみます16 西武柳沢 その3 [西武新宿線 全駅降りてみます]
うえの華灯路浮世絵行燈 先日れんこん料理を食べに行った時に見てまいりました。
昔も今も猫は窓から外を眺めるのが好きな様です。
2番ホームへ
西武球場は書いてありませんね。
西武球場は1979年に出来た様ですので、この駅が橋上化された時からこの看板はそのままなのでしょうか?
2番ホーム西武新宿方より、ホーム中央方面。
ホームの端より、通過してゆく西武新宿行き(後追い)。
2番ホームより見た1番ホーム越しの、魅力的な地域。
ホームより南口のアプローチ部分。
取ってつけた様なエスカレーターとエレベーター。(2005年竣工)
ホーム中程より上りエスカレーター・エレベーター。
急行・特急はスピードを緩めずに通過してゆきます。
本川越方のホーム端、ほぼ隣接して踏切があります。
ここからは、上り電車が・・・結構このアングルは電柱等が厳しいですが・・・
この様な風景も・・・
日中はこの様に閑散とした雰囲気が味わえます。
しかし、結構列車本数は多く、観察には適しているかも。
では、いよいよ田無へ向かいます。
去年の夏前の撮影だったかなぁ~
番外編・踏切とそろそろ番外編・キロポストあたりをはさんで、田無駅の紹介になってゆくと・・・思われます(笑)
昔も今も猫は窓から外を眺めるのが好きな様です。
2番ホームへ
西武球場は書いてありませんね。
西武球場は1979年に出来た様ですので、この駅が橋上化された時からこの看板はそのままなのでしょうか?
2番ホーム西武新宿方より、ホーム中央方面。
ホームの端より、通過してゆく西武新宿行き(後追い)。
2番ホームより見た1番ホーム越しの、魅力的な地域。
ホームより南口のアプローチ部分。
取ってつけた様なエスカレーターとエレベーター。(2005年竣工)
ホーム中程より上りエスカレーター・エレベーター。
急行・特急はスピードを緩めずに通過してゆきます。
本川越方のホーム端、ほぼ隣接して踏切があります。
ここからは、上り電車が・・・結構このアングルは電柱等が厳しいですが・・・
この様な風景も・・・
日中はこの様に閑散とした雰囲気が味わえます。
しかし、結構列車本数は多く、観察には適しているかも。
では、いよいよ田無へ向かいます。
去年の夏前の撮影だったかなぁ~
番外編・踏切とそろそろ番外編・キロポストあたりをはさんで、田無駅の紹介になってゆくと・・・思われます(笑)
西武新宿線 全駅降りてみます16 西武柳沢 その2 [西武新宿線 全駅降りてみます]
皆さん!!お久しぶりです(苦笑)
西武新宿線 全駅降りてみます16 西武柳沢 その2 です。
前回 その1から、およそ3か月経ってしまいました・・・
この企画けっして中座はしておりません。
そういえば、ブログの更新も大雪以来・・・
さぼっている間にも・・・
噴水を写そうとしたら、噴水が止まってしまったのに、ずぅ~とかまえていたり・・・
止まっていたと思ったら、暗くなってから、また噴水が出て撮影を再開した、怪しい影・・・
そんな所を写したり
こんな所に行ったり・・・
こんな、おいしい「雑炊」を食べたり・・・でっかいドンブリで食べたかった!!
こんな物が送られてきたり・・・
ネタはあったのですが・・・でも、さぼってしまいましたm(_ _)m
これからも地味に続けてまいりますのでよろしくお願いいたします。
取材は昨年の11月に済ませてありますので、絵的には少し季節感がずれるかと思いますが・・・
駅に入ります。
高田馬場・西武新宿方面行きが1番ホームです。
懐かしい香りのする駅前ロータリーがある方に駅長室があったんですね。 参照 その1
階段を上がると、自販機~改札~売店 が並んでいます。
1972年には橋上駅に改装されています。
改札を入り、右側の階段を降ります。
「せいぶやぎさわ」
ひらがなもありましたね
駅名標
降りて来た階段、反対側にはエスカレーターあります。
そこから覗くと、駅前ロータリーが見えます。
1番線です!!
新宿方。
こあたりに屋根はありません。
新宿~上石神井までは「急行」「準急」は8両・10両の編成がありますが、各駅停車は8両編成しかありませんので、「急行」「準急」停車駅以外はホーム長が8両分あれば良いのですが、上石神井以降は「準急」が全駅に停まりますので、10両編成が停まれるホームが必要となっています。
しかし「各停」の本数が圧倒的に多く、ホームの端までは屋根が無いケースが多いのです。
2両分でしょうか、屋根がありません。
ほぼホームまでせり出している看板。こんなのが自分の下車駅にあったら、吸い込まれていくんでしょうね・・・。
田無方より、西武新宿駅行きの列車。
2番線(下り)は田無方も2両分屋根がありません!!
雨の日にこの駅で降りる方は前後2両には乗らない方が良い様です。
10両分のホームは長いです。
1番ホーム田無方の写真、なぜだか撮ってません。
これは端から、田無方面を見た所なのですが、上り勾配になっており、青梅街道を跨いでそのまま田無駅へ向かっています。
ここに写っている踏切は西武柳沢駅から2つ目なのですが、そこから先、少しガーター橋が見えると思いますがその間に「第2次世界大戦」の痕跡が残っています。・・・詳しくは番外編で・・・
ホームに隣接して「柳1」踏切があります。
ホーム中ほどのエスカレーターで、2番線へ・・・
掲示板に写っている「埼玉西武ライオンズ2位確定・・・」で、撮影時期がばれてしまいますね。
スムーズに「その3」へ続こうと思います。
西武新宿線 全駅降りてみます16 西武柳沢 その2 です。
前回 その1から、およそ3か月経ってしまいました・・・
この企画けっして中座はしておりません。
そういえば、ブログの更新も大雪以来・・・
さぼっている間にも・・・
噴水を写そうとしたら、噴水が止まってしまったのに、ずぅ~とかまえていたり・・・
止まっていたと思ったら、暗くなってから、また噴水が出て撮影を再開した、怪しい影・・・
そんな所を写したり
こんな所に行ったり・・・
こんな、おいしい「雑炊」を食べたり・・・でっかいドンブリで食べたかった!!
こんな物が送られてきたり・・・
ネタはあったのですが・・・でも、さぼってしまいましたm(_ _)m
これからも地味に続けてまいりますのでよろしくお願いいたします。
取材は昨年の11月に済ませてありますので、絵的には少し季節感がずれるかと思いますが・・・
駅に入ります。
高田馬場・西武新宿方面行きが1番ホームです。
懐かしい香りのする駅前ロータリーがある方に駅長室があったんですね。 参照 その1
階段を上がると、自販機~改札~売店 が並んでいます。
1972年には橋上駅に改装されています。
改札を入り、右側の階段を降ります。
「せいぶやぎさわ」
ひらがなもありましたね
駅名標
降りて来た階段、反対側にはエスカレーターあります。
そこから覗くと、駅前ロータリーが見えます。
1番線です!!
新宿方。
こあたりに屋根はありません。
新宿~上石神井までは「急行」「準急」は8両・10両の編成がありますが、各駅停車は8両編成しかありませんので、「急行」「準急」停車駅以外はホーム長が8両分あれば良いのですが、上石神井以降は「準急」が全駅に停まりますので、10両編成が停まれるホームが必要となっています。
しかし「各停」の本数が圧倒的に多く、ホームの端までは屋根が無いケースが多いのです。
2両分でしょうか、屋根がありません。
ほぼホームまでせり出している看板。こんなのが自分の下車駅にあったら、吸い込まれていくんでしょうね・・・。
田無方より、西武新宿駅行きの列車。
2番線(下り)は田無方も2両分屋根がありません!!
雨の日にこの駅で降りる方は前後2両には乗らない方が良い様です。
10両分のホームは長いです。
1番ホーム田無方の写真、なぜだか撮ってません。
これは端から、田無方面を見た所なのですが、上り勾配になっており、青梅街道を跨いでそのまま田無駅へ向かっています。
ここに写っている踏切は西武柳沢駅から2つ目なのですが、そこから先、少しガーター橋が見えると思いますがその間に「第2次世界大戦」の痕跡が残っています。・・・詳しくは番外編で・・・
ホームに隣接して「柳1」踏切があります。
ホーム中ほどのエスカレーターで、2番線へ・・・
掲示板に写っている「埼玉西武ライオンズ2位確定・・・」で、撮影時期がばれてしまいますね。
スムーズに「その3」へ続こうと思います。
西武新宿線 全駅降りてみます16 西武柳沢 その1 [西武新宿線 全駅降りてみます]
久々の本編、駅です。
西武柳沢駅・・・まずは外回り
「西武」の付く駅名は、西武新宿・西武秩父・西武立川(西武球場前・西武遊園地は別でしょう)の3駅ここは、隣接した、駅があるために納得出来るのですが、この西武柳沢駅には・・・
ウィキにも出ていますが、開業当時すでに、長野電鉄河東線(木島線)に柳沢駅(2002廃止)が有った事が理由とか・・・
間違えませんよね・・・
駅南口には大きなロータリーがあり、
関東バス、西武バス、都営バスが乗り入れています。
バス停名は「柳沢駅」
青梅街道へ向かう道のあたりから「南口」
そのそばに、このバスが・・・「梅70 青梅車庫」 過去記事 をどうぞ
青梅街道へ向かう道。
無料送迎バス?・・・ではありません。
吉祥寺・三鷹駅方面への便は頻繁にあります。
・・・・こちら方面のLRT計画ってどうなったのかなぁ~
線路に一番近い道を田無方面へ歩きます。
ラーメン屋さんがありました。行きました・・・察して下さい・・・
付きあたりますので、右を見ると・・・「柳1」踏切があります。踏切は「番外編」で・・・
全品¥300の焼き肉、気になります。
この踏切、少し引いてみますと・・・
ここも割と、ギリギリホームの踏切です。
田無方面を見ると、緩やかに上り坂、中島飛行機の専用線、青梅街道とクロスする為に造られた高架部分です。
駅との位置関係はこんな具合。
踏切の北側「富士街道」のあたりから。
数メートル歩くと・・・良く解らないでしょうが、コーヒーの豆屋さんが・・・
見ると「コーヒー¥250」と書いてありましたので、購入!!(ティクアウト専用)
珈琲を頼むと、1杯分の豆を挽いて、ペーパードリップで入れてくれます。・・・気に入りました!!
珈琲を飲みながら
駅北口を探して、ぶら~り・・・
なが~い建物は、駐輪場。
少し歩くと・・・
「駅見っけ!!」
北口ロータリー? いや、駅前広場ですね。
階段を上って上から撮影。
いい感じです。模型の駅前広場みたいですね。
駅へはここから・・・
1970年には橋上駅になっています。
線路沿いには、飲食店が・・・と言うよりは「飲み屋」が・・・
このあたり、戦前は中島飛行機の社宅があったそうで飲食店などが多く集まったそうです。
再び、富士街道にもどります。
少し歩き、線路の方を見ると・・・いまは変わっていますが、市場の後や、ラーメン屋、喫茶店などがいまもあります。
賑わっていたのでしょうね。
こんな感じで電車が見えます。
もう一本先の路地から・・・ここも飲食店跡?・・・的な雰囲気です。
富士街道に戻り少し歩くと
西東京市内には、この様な、庚申塚やお地蔵さまなどがとても多いんです。
なので、深く調べると大変なので・・・
踏切が見えてきました。
踏切より、西武柳沢駅・・・
通り過ぎる車両を見ながら・・・
結構いろいろな車両が来るんですよね・・・
他社とは乗り入れしていませんので西武の車両だけですが、ほとんどの車両を見る事が出来ます。
夜には、回送ですがたまに白い101系も通ります。
これで1周しました。
で、タクシー乗り場です、地方出張者で有れば良く感じることと思いますが・・・
看板に電話番号が書いて有りますが、市外局番が書いていない事が多いんです。地方へ行けば行くほど(古い看板)携帯電話で、呼ぼうとダイヤル・・・
そうです。市街局番が必要なのです!!
ここの場合、油性ペンで書き加えてありますね。
西武柳沢駅 その2へ続く。
これってなんでしょう?
コメント数の所の×印、怖いので、今の所触れてはおりません。
so-neブロ方で、知っている方、教えて下さい!!
西武柳沢駅・・・まずは外回り
「西武」の付く駅名は、西武新宿・西武秩父・西武立川(西武球場前・西武遊園地は別でしょう)の3駅ここは、隣接した、駅があるために納得出来るのですが、この西武柳沢駅には・・・
ウィキにも出ていますが、開業当時すでに、長野電鉄河東線(木島線)に柳沢駅(2002廃止)が有った事が理由とか・・・
間違えませんよね・・・
駅南口には大きなロータリーがあり、
関東バス、西武バス、都営バスが乗り入れています。
バス停名は「柳沢駅」
青梅街道へ向かう道のあたりから「南口」
そのそばに、このバスが・・・「梅70 青梅車庫」 過去記事 をどうぞ
青梅街道へ向かう道。
無料送迎バス?・・・ではありません。
吉祥寺・三鷹駅方面への便は頻繁にあります。
・・・・こちら方面のLRT計画ってどうなったのかなぁ~
線路に一番近い道を田無方面へ歩きます。
ラーメン屋さんがありました。行きました・・・察して下さい・・・
付きあたりますので、右を見ると・・・「柳1」踏切があります。踏切は「番外編」で・・・
全品¥300の焼き肉、気になります。
この踏切、少し引いてみますと・・・
ここも割と、ギリギリホームの踏切です。
田無方面を見ると、緩やかに上り坂、中島飛行機の専用線、青梅街道とクロスする為に造られた高架部分です。
駅との位置関係はこんな具合。
踏切の北側「富士街道」のあたりから。
数メートル歩くと・・・良く解らないでしょうが、コーヒーの豆屋さんが・・・
見ると「コーヒー¥250」と書いてありましたので、購入!!(ティクアウト専用)
珈琲を頼むと、1杯分の豆を挽いて、ペーパードリップで入れてくれます。・・・気に入りました!!
珈琲を飲みながら
駅北口を探して、ぶら~り・・・
なが~い建物は、駐輪場。
少し歩くと・・・
「駅見っけ!!」
北口ロータリー? いや、駅前広場ですね。
階段を上って上から撮影。
いい感じです。模型の駅前広場みたいですね。
駅へはここから・・・
1970年には橋上駅になっています。
線路沿いには、飲食店が・・・と言うよりは「飲み屋」が・・・
このあたり、戦前は中島飛行機の社宅があったそうで飲食店などが多く集まったそうです。
再び、富士街道にもどります。
少し歩き、線路の方を見ると・・・いまは変わっていますが、市場の後や、ラーメン屋、喫茶店などがいまもあります。
賑わっていたのでしょうね。
こんな感じで電車が見えます。
もう一本先の路地から・・・ここも飲食店跡?・・・的な雰囲気です。
富士街道に戻り少し歩くと
西東京市内には、この様な、庚申塚やお地蔵さまなどがとても多いんです。
なので、深く調べると大変なので・・・
踏切が見えてきました。
踏切より、西武柳沢駅・・・
通り過ぎる車両を見ながら・・・
結構いろいろな車両が来るんですよね・・・
他社とは乗り入れしていませんので西武の車両だけですが、ほとんどの車両を見る事が出来ます。
夜には、回送ですがたまに白い101系も通ります。
これで1周しました。
で、タクシー乗り場です、地方出張者で有れば良く感じることと思いますが・・・
看板に電話番号が書いて有りますが、市外局番が書いていない事が多いんです。地方へ行けば行くほど(古い看板)携帯電話で、呼ぼうとダイヤル・・・
そうです。市街局番が必要なのです!!
ここの場合、油性ペンで書き加えてありますね。
西武柳沢駅 その2へ続く。
これってなんでしょう?
コメント数の所の×印、怖いので、今の所触れてはおりません。
so-neブロ方で、知っている方、教えて下さい!!
タグ:西武柳沢
東伏見稲荷 その2 [西武新宿線 全駅降りてみます]
手を清め、奥に・・・
説明書きを読みながら、しっかりとくぐり・・・
お宮参りでしょうか?
お邪魔してもいけませんので、社の裏を散策。
そもそも、日本の神社仏閣等について不勉強であるsuzuran6ですので、ご説明などは出来ません!!
お稲荷さんの定番と思われる、小さな鳥居がたくさんあります。
進んでゆくと小さな「神社」がたくさんありました。
色々な狐さんも・・・
子連れの狐さん。
他の所とは違い、少し大きいです。
「阿」
「吽」 ここは、狛犬ですね。
お参りをして・・・
さすが、お稲荷さん。
次回は、お揚げもってこないといけませんね。
沢山あった、赤い鳥居や、幟旗はこう言うことだったんですね。
境内を出て、西武新宿線方面へ…
トンネルの上はこの様に整備されていました。
橋の様な所が見えますが、立派な橋(人のみ)があり、西武新宿線を渡れます。
橋の上から見ると・・・
橋の上から、西武新宿線、東伏見方面。
どうやって撮るのが良いか・・・意外と難しそうです。
公園から、西武柳沢方面。
障害物がいろいろあり・・・
この様な、名前の人道橋なんですね。
まだまだ、残工事が残っているみたいです。
のんびり過ごすのには良い感じです。
そういえば、こんな鉄塔が公園を横切っていました。
昨日、10,000niceを頂いておりました。 いつも、niceをポチッとしていただいている皆様「ありがとうございます」 これからもよろしくお願いいたします。 ただ、このnice,とても楽しいのですが、so-net以外の方々にもお越しいただいているのに、なんだか申し訳ないですよね。so-netさんso-net以外の方々もポチッとできる様にできませんかね?
説明書きを読みながら、しっかりとくぐり・・・
お宮参りでしょうか?
お邪魔してもいけませんので、社の裏を散策。
そもそも、日本の神社仏閣等について不勉強であるsuzuran6ですので、ご説明などは出来ません!!
お稲荷さんの定番と思われる、小さな鳥居がたくさんあります。
進んでゆくと小さな「神社」がたくさんありました。
色々な狐さんも・・・
子連れの狐さん。
他の所とは違い、少し大きいです。
「阿」
「吽」 ここは、狛犬ですね。
お参りをして・・・
さすが、お稲荷さん。
次回は、お揚げもってこないといけませんね。
沢山あった、赤い鳥居や、幟旗はこう言うことだったんですね。
境内を出て、西武新宿線方面へ…
トンネルの上はこの様に整備されていました。
橋の様な所が見えますが、立派な橋(人のみ)があり、西武新宿線を渡れます。
橋の上から見ると・・・
橋の上から、西武新宿線、東伏見方面。
どうやって撮るのが良いか・・・意外と難しそうです。
公園から、西武柳沢方面。
障害物がいろいろあり・・・
この様な、名前の人道橋なんですね。
まだまだ、残工事が残っているみたいです。
のんびり過ごすのには良い感じです。
そういえば、こんな鉄塔が公園を横切っていました。
昨日、10,000niceを頂いておりました。 いつも、niceをポチッとしていただいている皆様「ありがとうございます」 これからもよろしくお願いいたします。 ただ、このnice,とても楽しいのですが、so-net以外の方々にもお越しいただいているのに、なんだか申し訳ないですよね。so-netさんso-net以外の方々もポチッとできる様にできませんかね?
タグ:東伏見稲荷
東伏見稲荷 その1 [西武新宿線 全駅降りてみます]
「西武新宿線 全駅降りてみます」は現在、夏休み中です!!
駅は「東伏見駅」まで来ておりますが。
ここで現在の「東伏見駅」の駅名の由来となった「東伏見稲荷」に寄り道。
東伏見駅から、西武柳沢駅方面に向けて少し歩くと・・・
鳥居が建っています。(下の地図①のあたり)
鳥居をくぐり、その道を歩いていると、この様な標識が・・・
「東伏見参道」は「石神井川」につきあたり、右に折れます。
こんな看板が立っていましたが・・・
この時は水が一滴もながれていませんでした。
立派な、橋が架かっており。(下の地図の②のあたり)
すぐ近くには、この様な交差点があり。(下の地図の③のあたり)
振り返ると、こんなトンネルが・・・神社の横を通っています。(下の地図の④のあたり)
Web上の地図ではまだ、ここの地図の道路は出て来ません。
今年(2013)の4月21日に開通した様です。
現在、武蔵境の浄水場のあたりから、ここを過ぎ、西東京市役所保谷庁舎のあたりまで繋がっています。
ゆくゆくは、稲城市矢野口~(鶴川通り?)~三鷹~(武蔵境通り?)~西東京市 と繋がり、結構不便な南北の行き来を便利にしようと言う計画の様です。完成は?不明ですが、この辺りの住民としては、青梅街道・新青梅街道にバイパスが出来ただけでも、結構便利になりました。
そう言えばこの辺りずぅっと工事していた様な・・・
そんな、新しい道路の片隅に・・・
東伏見稲荷神社 があります。
鳥居をくぐり抜けると、たかぁ~い所に、狛犬 狐さんと言うのでしょうか?
右の狐さんは・・・
「稲霊」を象徴する『玉』
左の狐さんは・・・
米蔵の『鍵』・・・でしょうか、それぞれ咥えていらっしゃいます。
由来なのですが、さすがに西武鉄道が、街づくりの為の誘致をした・・・とは書いてありませんね。
初詣には10万人を超えるそうです。
まずは手水舎
とても解りやすい、手水の使い方。
勉強になりました。
その2に続く…
駅は「東伏見駅」まで来ておりますが。
ここで現在の「東伏見駅」の駅名の由来となった「東伏見稲荷」に寄り道。
東伏見駅から、西武柳沢駅方面に向けて少し歩くと・・・
鳥居が建っています。(下の地図①のあたり)
鳥居をくぐり、その道を歩いていると、この様な標識が・・・
「東伏見参道」は「石神井川」につきあたり、右に折れます。
こんな看板が立っていましたが・・・
この時は水が一滴もながれていませんでした。
立派な、橋が架かっており。(下の地図の②のあたり)
すぐ近くには、この様な交差点があり。(下の地図の③のあたり)
振り返ると、こんなトンネルが・・・神社の横を通っています。(下の地図の④のあたり)
Web上の地図ではまだ、ここの地図の道路は出て来ません。
今年(2013)の4月21日に開通した様です。
現在、武蔵境の浄水場のあたりから、ここを過ぎ、西東京市役所保谷庁舎のあたりまで繋がっています。
ゆくゆくは、稲城市矢野口~(鶴川通り?)~三鷹~(武蔵境通り?)~西東京市 と繋がり、結構不便な南北の行き来を便利にしようと言う計画の様です。完成は?不明ですが、この辺りの住民としては、青梅街道・新青梅街道にバイパスが出来ただけでも、結構便利になりました。
そう言えばこの辺りずぅっと工事していた様な・・・
そんな、新しい道路の片隅に・・・
東伏見稲荷神社 があります。
鳥居をくぐり抜けると、たかぁ~い所に、
右の狐さんは・・・
「稲霊」を象徴する『玉』
左の狐さんは・・・
米蔵の『鍵』・・・でしょうか、それぞれ咥えていらっしゃいます。
由来なのですが、さすがに西武鉄道が、街づくりの為の誘致をした・・・とは書いてありませんね。
初詣には10万人を超えるそうです。
まずは手水舎
とても解りやすい、手水の使い方。
勉強になりました。
その2に続く…
タグ:東伏見稲荷神社