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札幌市電 ループ化工事中 [鉄道]

今回は札幌市電のお話を・・・

馬車鉄道.jpg
これは現在、北海道開拓の村 に復原・運行されている、馬車鉄道です。(写真はかってに・・・m(_ _);m)

1910年(明治43年) 札幌石材馬車鉄道 平岸村-藻岩村間開業
        これは、suzuran6のブログをご覧いただいている方は、聞いた事があると思われる・・・
        「札幌軟石」の運搬が当初の目的であった馬車鉄道でした。(軌間は762㎜)
        冬場は、さすが北海道!!・・・馬そりで運行していたそうです。
        石材の運搬が主目的でしたが、当初から、日に3往復ほど客車も運行していた様です。
1916年(大正5年) 「札幌電気鉄道」に社名変更
        1918年(大正7年)8月 - 9月に開道50周年を記念して北海道大博覧会が開催されることに
        なったのを機に、馬車鉄道を路面電車化しようという動きが高まった。
1917年(大正6年)  「札幌電気軌道」に社名変更・・・何故二度の社名変更が行われたかは???です。
              「鉄道」と「軌道」の法的しばりの違いが要因か?
1918年(大正7年)   路面電車化のため、軌道をいったん撤去
   当初は軌間を1,372mm(馬鉄軌)とする計画で、車両はイギリスのデッカー社から輸入する予定だったが、
   第一次世界大戦の影響でヨーロッパからの海上輸送は困難となり、急遽名古屋電気鉄道から
   中古の車両を譲り受け、またアメリカからやはり中古のレールを輸入した。
   この時、軌間は車両に合わせて鉄道院管轄下の国有鉄道と同じ1,067mmに変更。
   こうした混乱のため、8月1日の博覧会開会に間に合わず、
   8月12日に停公線(札幌停車場 - 中島公園、のちの西4丁目線および中島線)、
   南四条線(南4条西3丁目 - 南4条東3丁目、のちの豊平線)、
   一条線(南1条西14丁目 - 南1条東2丁目)が開業した。         (ウィキペディアより)

函館市電をご紹介した時に軌間のお話をしましたが、実は札幌も1,372㎜の計画でした。しかし、上記の理由で現在の1,067㎜になり現在にいたっております。

開業時の車両が保存されています。よろしけれは[次項有]過去記事
しかし、その「22号」は現在 明治村へ里帰り中です[次項有]「名電1号形」

そんな歴史の札幌市電なのですが、車が増え、地下鉄が整備され・・・路線は大幅に縮小・・・
しかし、なんと延長工事が今行われているのです!!
・・・400mですが

その400mが大切なんですよぉ~
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クリックすると大きくなりますが・・・

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ココが延長されて、ループになるんです!!

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全体のイメージはこんな感じ・・・

札幌市のHPにこの計画の概要のPDFがありますのでよろしければ・・・上の3枚はここからの抜粋です。
路面電車活用方針のパンフレット「SAPPORO CITY TRAM 2010」

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suzuran6が札幌にいた5月末のすすきの電停、工事中です。

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4丁目交差点、右方面に西4丁目の電停が見えますが、この通りが一条通り、左前方に伸びている植栽のある通りが駅前通り、ここの交差点を線路が通るんです。・・・今頃工事が始まっているんじゃないかなぁ~
(写真の繋ぎ方雑ですみません)

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西4丁目の電停、今は単線になっております。

4札幌市電_R.JPG
上の図でもわかる様に通りの真ん中ではなく歩道寄りに軌道が敷かれます。
ちょうど、夜間に工事が行われていました。

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軌道が敷かれる所のアスファルトの色が違いイメージしやすいですね。
また、歩道の角の切り方が独特の形状になっています。

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西4丁目とすすきのの電停の大体真ん中に「狸小路」がありますが、この辺りに電停が出来ます。

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すすきのの交差点、右側が駅前通り、左の工事柵のあるのが月寒通り(こう呼んでいる事しらなかった)

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アスファルトが切り刻まれています。ここも軌道が敷かれる部分のアスファルトの色が変わっており、軌道予定位置がはっきりとわかります。

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看板を見ると、4ヶ国語・・・本当の国際都市は「日本語」と「英語」だけでいいのでは?
ゴチャゴチャして、まるで、田舎のスーパーの手書きのチラシみたいです。
・・・書きたい事を次々と思いだしすべてを書いてしまい、結果何を告知したいのかが分からなくなっちゃうタイプ。

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このあたり、が本来の電停のあった位置です。今までは単線での折り返しでしたが複線の電停になり、しかもその先電停から見て左折・・・すべてを掘り返しています。

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工事中は、すすきのの電停が1区画西へずれています。まるまる1区画分工事中です。

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仮設の電停です。

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ここで、ポイントを渡るのを見る事ができるのは、工事中のみ!!

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仮設のポイントが・・・

軌道以外の工事が終わってから、軌道の敷設が行われるそうです。この写真を撮ってから2週間以上経っています。かなり工事も進んでいるのでは?
10月に運行開始が予定の様です。

車道を挟んで、軌道・歩道ですので、この区間では荷捌き(トラックから荷物を配達)や、タクシーの客待ちが出来なくなるんです。今回の新しい試み、問題はいろいろあるでしょうが、路面電車の今後に少し明るい何かを見る事が出来る様で楽しみです。



この延長区間の一番下には、地下鉄南北線、その上には地下街、そうして道路と市電、3階建てを想像するとワクワクしてしまうsuzuran6・・・ちょっと、アブノーマルな性格かなぁ~(笑)









函館市電・・・その2 [鉄道]

20記念碑 .JPG
駒場車庫に到着しました。
『函館馬車鉄道記念碑』がありました。

21 記念碑.JPG
・・・手抜きですみません・・・
昔からここが「基地」だった訳ではない様です。

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東川町本社~弁天・・・ここが昔から栄えていた町の様です。

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こういう所って、ずっと見ていてもあきないんです。

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低床の連接車もあるんだ・・・

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「箱館ハイカラ号」この日はお休みの様です。

26 車庫.JPG
こんな所のアパート、いいなぁ~

27 車庫.JPG
これから、出勤でしょうか?

とか見ていると、なんだか違う走行音が・・・
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なんだ!!

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2010年製 9602編成を北海道新幹線「H5」の色にラッピング。
函館市内はいたる所に北海道新幹線開業を楽しみに待っているポスター、幟などがありました。

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8009 2012年製(810 1964年製を車体更新)

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こういうのも見ているとわくわくするんです。

32 車庫.JPG
事務所全景。

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あまり、乗る予定はないのですが記念に「一日乗車券」を入手。

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8010 2012製(811 1966年製の車体更新)
ここ(駒場車庫前)で乗務員の交代があるのですね。

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電停で待っていると、先ほどの 723 オリジナルカラーが来ました。

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乗車時はこんなものでしたが、途中意外とお客さんが乗ってきました。

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最初はここに、かぶりついて異様かと思ったのですが、空いていましたので座って・・・

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このポスターを見ながら・・・

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函館駅前に到着です。

函館駅に行き少し写真を撮り・・・

さぁ、昼飯!!

で・・・次回へ続く・・・








函館市電・・・ [鉄道]

次回の「ブラタモリ」は、ここの昔を探る様です。
1 函館山.jpg

今回はたっぷりと観光してしまい、ネタが豊富!!そこで、鮮度が落ちないうちにどんどん更新してまいります。

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少し前に掲載しました、ANA553便の動画をもう一度・・・前回より少し解りやすく・・・
函館市電の路線図に大まかな航路を書いてみました。

一枚目の写真の様に函館山を左に見ながら海岸線に沿って飛んで行きます。
777は五稜郭方面に向かって飛んでいますが、右に旋回。わずかですが五稜郭タワーが画面下に見えます。
高度を下げつつ。建設中の丸い 函館アリーナ(電停 市民会館前のあたり)をかすめ、湯の川上空を函館空港に着陸です。


3 函館vs札幌.JPG
函館市電の軌間は1,372㎜で、少し広い・・・そんなお話をしましたが、札幌市電の写真と並べてみました。
函館:札幌 軌間1,372㎜:1,068㎜ 写っている車両の幅2,340㎜:2,230㎜ 高さ3,700㎜:3,675㎜
結構違って見えますね。・・・札幌市電の軌間が1,068㎜になった理由は、もう少々お待ち下さい。

4 2001.JPG
2001 1992年製

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8101 2002年製(807 1967年製 の車体更新車)

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すれ違いは結構見ることができます。

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715 1960年製

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交差点脇に屋根つきのベンチ?と思って近づくと・・・そこは「足湯」でした。

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湯の川温泉の歴史などの看板です。大きくしてもある程度読めるサイズにしてあります。

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つい最近ここを逆のルートで歩いた人がいたんだよなぁ~

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3003 1995年製
「五勝手屋」ここの「丸缶羊羹」私の好物です。・・・[次項有]五勝手屋HP

さらに歩いていると・・・
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なんだか怪しい建物が・・・いや、車輪が付いています。

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ラーメンやさんの様です。
この時は12時過ぎでしたが、人気がありません!!水曜日だけど・・・残念。

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写真は勝手にネットから・・・
この車両が元の車両の様です。
車輪が付いたままですと、建造物ではなく、固定資産税がかからないんですよね。(家にも車輪付けちゃおうかなぁ~)

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8009 2012年製(810 1964年製の車体更新)

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18 715.JPG
723 1961年製 数少ない原色

19 車庫.JPG
お、なんだこの線路は?
と振り返ると・・・

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駒場車庫でした。

で、こんな記念碑が・・・

次回に続く・・・



青函連絡船 摩周丸 [鉄道]

函館での「ぶらり」のその2です。
市電についてはもう少しありますが、今回は「摩周丸」

よろしければ、過去の「摩周丸」「八甲田丸」「羊蹄丸」の記事をどうぞ
[次項有]2009年の羊蹄丸の記事
[次項有]2011年の羊蹄丸の記事
[次項有]2012年の摩周丸の記事
[次項有]2012年の八甲田丸の記事Ⅰ
[次項有]2012年の八甲田丸の記事Ⅱ

市電に乗り「函館駅」へ、札幌への切符の手配を済ませぶらぶらと・・・
「摩周丸」へと向かいました。
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以前にもご紹介した、モニュメント・・・
以前よりもサビが・・・

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ウワッ!!
動輪の裏側はこんな具合に!!

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「摩周丸」に到着

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国鉄からJRに変わった時に、船籍が東京から函館に変更になりました。
・・・この時からJR北海道は鉄道では利益が出せないエリアである事はわかっていたんですよね。いまさら、現状だけを責める人達は是非、歴史をさかのぼって本当の責任はどこにあるのかをじっくりと考えてもらいたいですね。

今、線路はなんとか全国繋がっていますが「線路網」は繋がっていません!!
2011年の震災の際「線路網」を駆使して仙台へ石油類を運べたのですが、現在では車両・信号などの問題で、ほぼ無理な状態なんです。新幹線により実質寸断されてしまった「線路網」災害時などの国の大動脈を守る意味でも見直す必要があるのでは?
利益だけを追って、将来を考えないとどうなるのか・・・

新幹線も確かに利便性向上の為には良いのですが、それ以上に発生する地元への負の効果が多きすぎます。

ついつい、話が変な方向に・・・

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さて、船内に向かいます。

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その昔、何度も見た風景。
ただ、昔はエンジン音が響いていましたが・・・

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機械遺産ってなんかメリットがあるんだろうか?

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中に進むと・・・
はい、今日(30日)の「ブラタモリ」の出てくる様です。

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「無線室」

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このハンドルで舵を取るのですね。

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国際信号旗が収納されていたのですが・・・なんだかパンツを丸めてしまってある様に煮えるのは私だけでしょうか?

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ふつう座席とグリーン座席が展示(座れます)されていますが、船室のイメージとはほど遠いんですよね。

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懐かしい「案内図」

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これも、懐かしいです!!

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ブリッジの下のでっかい窓には違和感がありますが、カッコイイ船です。
いつまでの残ってくれるかなぁ~

横浜の「氷川丸」現在保存の継続について論議されているんです。老朽化と保存にかかる経費がネックになっているんです。
「摩周丸」の見学費用は500円これでは・・・

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メモリアルな年なんですね。
今日の「ブラタモリ」の放送で、火がついて・・・そんな簡単には行きそうにありませんよね・・・

まだまだ、北海道編 続きます

函館・・・私の場合は鉄 [鉄道]

久しぶりに札幌へ・・・
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でも、なぜか「函館空港」へ・・・

今回は、函館山から、市電の路線をなめる様なコースで着陸でした。

その後、路線バスで「湯倉神社・函館信用金庫前」下車
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ここのバス停、地元の方以外の方には難しい!!
「湯倉神社前」と「湯倉神社・函館信用金庫前」が大きな交差点を挟んで2つあるんです。
でも、バス停の表記は両方ともに「湯倉神社前」!!

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バス停の前には、市電電停の「湯の川」終点・始発・・・があります。


函館市電は、1897年(明治30年)に東京馬車鉄道と小田原馬車鉄道の技術協力で亀函馬車鉄道として始まり、1913年(大正2年)に路面電車として走り始めました。
ちなみに札幌市電は1910年(明治43年)に馬車鉄道として始まり、1918年(大正7年)に電車化されました。
北海道の歴史の中では、函館が大きな町であり札幌は後から出来た開拓地なんです。

で、路面電車と言えば札幌市電!!
のsuzuran6はこの函館市電の線路幅がなんだか広く、変な感じなんです。
調べてみると・・・1,372㎜!!

ここで、少し軌間(線路の幅)についてのお話を・・・
現在日本では主にJRの一般路線をはじめとする多くの私鉄で使われている軌間は1,067㎜の狭軌(世界から見ると狭い)が多いんです。
で、世界全体では1,450㎜の線路幅が多く「標準軌」と呼ばれています。この幅の起源は?
良く言われている起源は、昔の馬車の車輪の間隔がほぼこのサイズであった事の様です。
国内で、有名なのは新幹線、阪急電鉄などなど、なんだか線路の幅が広いな・・・と思ったらこの幅がほとんどです。

日本は何故、最初から狭い線路を使ったのでしょうか?おそらく・・・
日本に鉄道の技術を最初に伝えてくれたのはイギリスだったのですが、こんな小さな貧乏そうな国だから・・・と当時イギリスが植民地などで導入していた、標準軌よりも簡便なこの狭い線路幅を伝えたためでは・・・冗談の様ですがこれ、結構有力な説です。

で、今回の函館市電の線路幅、実は世界的にも例は少なく「偏軌・変則軌道」などとも呼ばれたり、都電(旧東京馬車鉄道)が使っていたので「東京ゲージ」と呼ぶにもふさわしい・・・なんて言う方もいらっしゃるそうです。

国内の鉄道の線路幅(狭軌)の中では「馬は牽きづらいだろうなぁ~、少し広げてしまおう!!」(by東京馬車鉄道;笑)そんなところから始まったりするのかもしれません(suzuran6勝手な想像でありますが・・・)。

あと、京王電鉄ご利用の方「線路幅が少し広いなぁ~」と思ってもそれは1,450㎜ではありません。
もともと、路面電車から始まった京王電鉄は、後に都電への乗り入れなども考えていたため、都電と同じ1,372㎜なんです。それと最初から京王電鉄と相互乗り入れを計画していた都営地下鉄新宿線も1,372㎜です。

札幌市電の線路幅については、後日あらためて・・・

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軌間の種類ってこんなにあるんですね。(Wikipediaより)

話がそれてしまいました・・・

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電停のそばにはこんな看板が・・・
そう言えば、つい最近競馬場から空港まで歩いた人がどこかにいたなぁ~
少しだけ歩いてみました。

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平な地形かなぁ?と思っていましたが、結構微妙な起伏があります。

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これが、オリジナルの塗色なんですが、ラッピング車両が多すぎてなかなか見ることができません。

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で、その後市電には乗ったのですが・・・
吊広告が・・・

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と、思ったら、あちらこちらに・・・
その後街中でも、あちらこちらに貼ってありました。
今度の土曜日の「ブラタモリ」が函館なんですね。

北海道編・・・まだまだ続きます。








苗穂にて [鉄道]

先日ご紹介した「キハ285系」
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何かの横顔・・・と思っておりましたが・・・
私のイメージはこれでした!!

苗穂に行った日の事ですが・・・
以前とあるブログで、気になる記事があり、その後を確認にまずはぶらり・・・
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今では札幌の中心地域から東方面への主要道路の一つ「南郷通」その実家から10分も歩かない所なんですが・・・

月寒駅2.jpg
これは私が小学校の頃にできた標識であると思います。
拡大しますと・・・
怪しいでしょう!!
上の「菊水 東札幌」明らかに上から貼っている所は、その昔「札幌」と書いてありました。
もちろん白石区も札幌市ではありますが(地下鉄で10分程で大通です)このあたりに住んでいる者にとっては何にも違和感はなかったんですけれど・・・
あまりにも大雑把過ぎたからでしょうか?もう少し詳しい地域の地名になっています。

それよりも・・・

月寒駅3.jpg
さらにズーム!!
そう!!あの「月寒j駅」の痕跡があるんです。
今は2014年でしたよね・・・
この月寒駅は1973年の千歳線付け替えまでは、千歳線の駅として旅客を扱っており、また隣接するアサヒビールの工場の出荷のための駅としても機能していました。
しかし、1976年までは専用線として残っていましたがこの年の8月に出荷はすべてトラックに替えられ、10月に廃駅となったのでした。それから38年程経ったのですが・・・この手の標識って耐用年数は何年なのでしょうか?

ちなみに「月寒駅」は「つきさっぷえき」と読み「Tsukisappu」と表記されていたのですが、この標識は「Tsukisamu Stn」の表記です。ん~。でもなんとなく「amu」の文字間隔と字体は怪しいような・・・
地名の「月寒」は現在は「つきさむ」と読みます・・・雑談ですが「月寒高校」の修学旅行の時に旅行先で集合の案内放送で「げっかんこうこうのみなさま・・・」と呼び出された事が、あるとか、ないとか・・・

思い出した・・・何年ほったらかしていたんだっけ・・・[次項有]「月寒駅を作りたい!」まずはHDDの何処にデータを格納していたのかを探し出さなければ・・・

ぶらぶらとしながら、苗穂駅に到着。
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営業開始前にまずは、ここで待機。時間になると札幌駅に向かいます。

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検査入場していたのでしょうか?
「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「はまなす」が無くなったあと、彼らは・・・

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いつも定位置?
昔はいつも10両近くの蒸汽がたむろしていた扇形庫のあたりに、今日もいました。
キハ400の500番台。
これは、まだまだJR北海道が元気であった頃に [次項有]これ を改造して造られた「お座敷車両」
その奥にはDE15が・・・

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ホーム内をウロチョロしていると・・・
動き出しました!!

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「そこで停まってくれぇ~!!」と願ったのですが・・・[バッド(下向き矢印)]

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もう一両はなんとかすっきりと、模型的写真を撮る事ができました。

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改造が1997年、そろそろ疲れが見えますね。

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跨線橋の上からも一枚!!

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しかし、下回りはしっかりと整備されている様です。
この、キハ40形は1977年から製造されいろいろと手は入れられているもののもうすでに37歳。
あの、キハ22形でも、製造初年が1958年で、1995年にはすべて引退(37歳でした)
もしかしたら「キハ40形」昭和最後の名車両なのかもしれませんね。

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キハ400形が動いた事により、この車両が良く見える様になりました。
しかし、結構ホームからは遠くでして・・・

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フォトショップにて、拡大!!
夏場は「ノロッコ号」などでも活躍している旭川の「1535」でした。
今日あたりは、旭川近辺では大活躍なんでしょうね。

前回ちらっと紹介しました、TV東京の番組で使っていただいた写真の元は この記事 の「函館本線 白石~苗穂 おおぞら」の写真でした。







嗚呼!! 悲運の「キハ285系」 [鉄道]

先日の帰札の際、少しだけ苗穂駅に行ってまいりました。

で、ホーム上から、工場の方を見ると・・・
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こんな車両が見えておりました。

ホームの先端(札幌寄り)から・・・
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で、改札を出て跨線橋へ・・・
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これ、JR北海道が誇る最新鋭の特急車両「キハ285系」なんです。
JR北海道が長年、研究開発を進めてきた最新技術の結晶の車両なんです。

どんな技術が・・・

ハイブリッド動力化試験 [次項有]wikipedia
今では耳慣れた「ハイブリッド」
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随分前に撮影した キハ160改「ハイブリッド動力化試験車」[次項有]過去記事

この技術は2007年にプレスリリースされていました。
よろしかったらpdfを 世界初の環境に優しい『モータ・アシスト式ハイブリッド車両』の開発に成功![次項有]JR北071023-1.pdf

もう一つの技術は2006年にプレスリリースされていました。
こちらもpdfあります 世界初の「ハイブリッド車体傾斜システム」の開発に成功! [次項有]JR北060308-2.pdf


そう!!ダブル世界初。ダブルハイブリッドのJR北海道が生み出したスーパーディーゼル特急車両なんです!!


今北海道で走っている気動車特急車両は・・・
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キハ183系、1981年から本格導入。そろそろ老朽化が激しくあと何年持つか?

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キハ183系の改良形 1986年から運用開始。

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キハ281系 1992年から運用開始。

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大河ドラマにあやかって、こんなラッピング車両も走っていました。

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キハ283系 1996年から運用開始。

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キハ201系  特急形ではないのですが、凄い実力の持ち主です。
3両編成で十分「カシオペア」の編成を牽引できるほどのパワーとなんと車体傾斜装置まで・・・

その技術を基に・・・
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キハ261系(スーパー宗谷) 2000年に、この車両が出来ました。

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キハ261系(スーパーとかち) 

その後の旧車両の置き換え様にと、JR北海道が・・・285系を・・・

しかし、今の現状ではこの様な新型車両の導入は無理(コストも高い・保守も大変)と判断「おくらいり」

この車両を導入すると・・・現在の線路でも、札幌~函館は2時間30分もかからずに・・・
新幹線延長などよりも沿線の地域などにも役に立ち良いかと思うのですが・・・


いつかは、ちゃんと営業運転してくれる事を信じて・・・







非鉄の方にもわかる 蒸気機関車の色 [鉄道]

少し前に 「非鉄の方もわかる D51 なめくじ」 と言う内容を記事にしたのですが、ちょうどタイミングよく大井川鉄道のトーマスが走りだし、そのカラーリングに対して日本の蒸気機関車はなぜ黒い?
そんな質問もありました。
そこで・・・今回はこのタイトルで・・・
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我が家の子供たちがまだ小さくかわいかった頃、安室ちゃんとか蘭々が、ウサギになって出演していた、ポンキッキーズの中で「きかんしゃトーマス」やってたんです・・・VHSのテープにずいぶん残してあるはずですが・・・どこにいっちゃったんだろう?
それと、結構あったトーマスのおもちゃも・・・屋根裏を探さなければ・・・

・・・と言う話ではなく、この機関車達の色・・・およそ、本当にあった機関車が基になっています。で、このお話は時代的にはおそらく1950年~1960年くらい?(ヘリコプターとかディーゼル機関車も出てくる)
ちなみに「トーマス」は [次項有]「Class E2 0-6-0T 」が原型です。

イギリスの蒸気機関車の写真を見ていると、緑・茶色に塗装されているものが良く目に付きます。
ただし、汚れは目立つので、メンテナンスは大変な様です。

でも、日本の蒸気機関車は、ほぼ「黒」。
蒸気機関車は、ほとんど鉄で作られています。
鉄はとてもサビ易い素材なので、塗装の主な目的は「錆止め」なんです。
しかも、煙突などが付いている部分は、かなり高熱になりますので、熱にも耐えられる塗料である必要性がありました。
防錆+耐熱、今ではもう少し色を選ぶことができるのでしょうが、当時は必然的に塗料の色は「黒」にしぼられていったのでしょうね。(トーマス達の煙突と、その近くも黒いです。耐熱性のある塗料はやはり「黒」だったのしょう)
多くの場合、一般のペンキではなく「黒染め」されていた様です。

黒染め ・・・あのビゲンのとは違います
鋼材の表面に酸化第一鉄(黒錆)の皮膜を作り、鉄内部を保護する表面処理の一つ。 乾式酸化法や加熱蒸気酸化法、溶融硝酸塩法、酸性着色法、陽極酸化法、 アルカリ着色法などが代表的。

ちなみに、昔の客車が、濃い茶色系がほとんどであったのは、蒸気機関車の煙で、汚れてしまうので、目立たない様に・・・が一番の理由でした。

これらの理由で日本の蒸気機関車は「黒」が基本になっていたのでしょうね。
それと「国鉄」(役所)と言うのもその要因のひとつの様な気がします。もし、関西・関東の私鉄に多くの蒸気機関車があったならば、そして、1960年代まで多く活躍していたのであればトーマス達の様にカラフルな機関車が多く存在していたのでしょうね。

余談ですが・・東海道本線電化開業の時にはなんと、煙が出なく汚れなくなったので・・・と、客車を薄い緑色に塗り替えたりしていました。
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これは模型ですが(私は持っておりません・・・)

1954年頃にはC59と言う蒸汽機関車が、茶色と緑色に試験的に塗装されていました。
しかし暗めの色であり、本格採用まては至っていませんでした。

また・・・
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これは、戦時中日本が満州鉄道で走らせた機関車ですが(模型)こんな色の機関車も走らせていたんですけど・・・

これが蒸気機関車の色についての、ご報告です。



蒸気機関車の色について調べているうちに http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2008-12-09 こんな記事に行きつきました。
そう、あの、ナイアガラの記事 駅員3さんの記事です。
国鉄の蒸気全盛の頃、黒がほとんどであったとsuzuran6が認識のナンバープレートの地色ですが、主に西日本方面では黒・赤・緑・青など様々な色が使われていた様です。
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駅員3さんの記事より転載(許可を頂いております)
ナンバープレートがカラフル!!

今の所わかっている、色付きナンバープレートの一例ですが
東海道本線を担当していた宮原(大阪)では、機関車の状態によって、好調な方から順に 赤→緑→黒 としてナンバープレートの色を塗り分けていた様です。
鷹取工場(神戸市須磨区にあった車両の製造及び点検修理を行っていた、鉄族にとっては聖地のひとつであった)では機関車の修繕の程度で色分けし、模範修繕車=赤、それに準ずるもの=青、その他=黒。
九州では門司局は色分けをしなかったようですが、熊本のほか、大分=青(D60を除く)、南延岡=青、宮崎=淡青(のちに黒)。
名古屋のあたりでは、機関区ごとに 名古屋区=赤 (今保存されているC6217) 稲沢区=黒 大垣区=青 多治見区=緑 中津川区=青 美濃太田区=赤 高山=黒 と
また、四国では 高松=赤 多度津=青 高知=緑 その他=黒 だった様です。
その後、蒸気機関車が少しずつディーゼル機関車や電気機関車に追われる様に数を減らしてゆく中でほとんどのナンバーは黒に戻されてゆき、
ごく一部に、赤・緑・青が残り、それが稀少と言う事で人気になったりしたのです。


ちなみに、駅員3さんの記事の中の「C58 393」は、一時期、王寺(奈良)・和歌山に配置されていた事がありますので、この時のナンバーでは?と想像できます。
この手の記録あまりちゃんと発見できないのですが、suzuran6の記憶の中に天王寺鉄道管理局内でも機関区ごとにナンバーの色分けがされており、王寺が「青」の記憶があります。
ちなみにこの機関車、東北に移動し、1972年にさよならSL「おもいで号」を牽引、その後北海道苗穂へ移動になり、最後を迎えたsuzuran6にもすこし所縁のある機関車でした。
あ、そうか非鉄の方はここでも?がでてしまうのでしょうか・・・
蒸気機関車のナンバープレートは、傷、装備の都合で意外と検査の際などに、新しい物に造り変えたりしていましたので、ナイアガラに、青い「C58393」の物が残っているのは、そのタイミングに頂いた物である。・・・と言う事にしておきましょう。(笑)

皆さんも、鉄道博物館などに行った時に壁に貼ってある蒸気機関車のナンバープレートをみた時にでもこの事を思いだしていただければと思います。

この内容に関してのなにか、新情報などがあれば・・・教えてください!!


以上「非鉄の方にもわかる 蒸気機関車の色」でした。

そう言えば・・・suzuran6のブログの左上にある「KITAKA」のキャラクターのエゾモモンガにカーソルを合わせてクリックしたことがある方って、どのくらいいるのかなぁ~?









ちょっと 札幌で・・・ [鉄道]

しばらく、札幌行きは特に大きなイベントではなくなりそうです。
一平_R.jpg
狼さん御免なさい、今回も札幌到着は23:00近く。ラーメンを食べてからサクッとここへ・・・

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いきなり「焼酎」で・・・

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ラーメンのあとなので、あまり食べられませんでした・・・

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翌朝、何度か出てきました[次項有]「どんぐり」・・・
teruteruさん、こんなのも・・・「プーパン」中にはチョコクリームが入っておりました。

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ベーコンエッグパンも旨かったっす。

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翌日、ラーメンを食べに行く途中・・・札幌駅にて。

DD511143_R.jpg
これも・・・

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この列車です。
札幌駅って暗いんですよね・・・

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しばらく食べてないなぁ~
と思いつつ「ネタ」思いつきました!!
次回帰札時に取材できるか・・・?

で、次の日またラーメンを求めフラフラと・・・
DD51 1150_R.jpg
こんな物に出会いました!!
鉄系の方にはピンと来るネタなんですが・・・

一般の方は、こんな機関車があるのね、と思っていただければ・・・
でも、これだけは知っていただきたいのですが、前出のDD51 1142と1143と同じ機関車です!!
青いのはJR北海道が持っている「DD51」で、これはJR貨物が持っている「DD51」です。
北海道では、超絶滅危惧種のディーゼル機関車なんです。
この日の札幌の気温は日中最高で25℃ほど、湿度が高く、こちらでは十分に暑く、入れ替え作業中のキャブ(運転席)は暑く、ドアを開けたままの作業の様です。

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全く予期していなかったDD51 1150との出会いに感激しつつ、ラーメンを食べてまいりました。

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で、本日・・・
前回と同じく、札幌駅からの「快速エアポート」には乗らず「苗穂」寄り道で・・・

ハイ、収穫ありました。

これに会えました!!

コンデジで、曇り空と言う悪状況でしたが、手前が DF200 2 奥に見えるのが、DE200 6 まとめて2両の「赤スカ」

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JR FREIGHT JR貨物です。
その下の「鷲」見納めも近いのですね。

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赤スカ」・・・一般の方へ、「赤スカ」とは・・・赤いスカートです。(そのまんま)
鉄系の方々にはすぐ理解いただけると思うのですが・・・非鉄の方へ[次項有]過去記事の「DF200 51」連結器とかある所グレーですよね。
でもこの「DF200 2」のそこは、赤いですよね。そこを「スカート」と言うんです。
現存するDF200 49両のうち12両が、この赤いスカートをはいております。

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ニックネームは「RED BEAR」

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今の時期、都市部以外でこの機関車の列車を撮影する時には「BLACK BEAR」の恐怖・危険にさらされながら頑張っておられる方々も・・・(BLACK BEAR・・・ヒグマ 茶色とも言う)

ちょっと寄り道でも楽しめる苗穂駅です。

苗穂駅 2_R.jpg
愛煙家suzuran6,ここのホームで一服しながらイロイロと眺めているのが好きだったんですが・・・
外ですし、ここまでは列車が停車しない場所なんですが・・

苗穂駅 _R.jpg
少し前に、ご紹介しました、苗穂駅の移転ですが、あの跨線橋のあたりに新駅(移転改装)が出来るんです。

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いきなり、東京モノレール「サボ」の言葉はまだ現役なんですね。

速報でお知らせいたしました。




非鉄の方もわかる D51 なめくじ [鉄道]

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前回の記事で、このポスターを掲げて「なめくじ」が・・・と書いたのですが、鉄系の方は良く解っているのですが、それ以外の方にはなかなか・・・と言うことで・・・

非鉄の方を少しずつ、鉄寄りに引きずり込む為の、ご説明を・・・

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これ、新橋の駅の前にある「C11」の初期タイプの図面です。
同じ蒸気機関車でも、何年かにわたって製造し続けますので(C11の場合1932~1946年の間に381両)途中で、若干のモデルチェンジがあります。
今度新橋の駅にいらした時に駅前のC11をご覧になる時に、ぜひ「ラクダのこぶ」みたいな所を観察してください。丸いこぶではなく、かまぼこを切った様な形をしています。あれは「戦時設計」の名残です。
資材が少ない時期に、形状を変えたり、場所によっては「木」を使ったりしていたんです。戦後に支障がある箇所は改修されました。

C54.jpg
これは「C54」と言う非常に目立たない存在の蒸気機関車です。
1932年に17両だけ作られました。
なぜ、そんな機関車を・・・これもまだ「ラクダのこぶ」みたいなものを背負っています。
このこぶはこの機関車の場合後ろが、滑り止めで撒く砂用のタンク(サンドドーム)です。よく見ると配管が出て動輪の所まで伸びています。
もう一つのこぶ(前)が、発生した蒸気をためておく所(スチームドーム)です。

C55.jpg
「C55」1935~1937年の間に62両製造されました。
この機関車からサンドドームとスチームドームが一つのカバーで覆われています。

1936年に作られた21両は、当時はやりの「流線型」と言う、形状(カバーが付いた形状)で、製造されました。

実物の写真はなかなかなく・・・
C55.jpg
勝手に・・・使用しております。すみません・・・

このほかにも蒸気では、C53が流線型を、また電気機関車でも、EF55が流線型で、製造されました。
興味のある方は、webでお調べ下さい(不親切・・・)

C57.jpg
「C57」これは、皆さんも見たことがあるのでは。最後の蒸気牽引客車列車を牽いた135号機は、大宮の鉄博に保存されていますし、復活機の180号機、1号機が走ってくれています。
実はこのC57は、前述の「C55」の63号機として(C55のモデルチェンジ機)作り始めるのですが「余りにも違うべさ!!」と別形式になった、兄弟機なんです。「C55」の基本的設計が優れていたと言うことなんでしょうね。
番号が飛んでいる(C55→C57)のは、途中小型の「C56」が造られていたためです。
1937~1947年の間に201両製造されました。

話を本題に近づけます。

この機関車も、サンドドームと、スチームドームが一つのカバーで、おおわれています。
ただ、後ろ側に傾斜が付いて、少しカッコ良くなっています。

ここまでは動輪3対(大きい車輪が片側に3つ)の旅客用利用が主な機関車です。

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「D50」1923~1931年の間に380両製造されました。
こぶは2つあります。
動輪は4つあり、踏ん張りが効く様に見えますよね。基本的には貨物用の機関車なんです。
特に九州の炭鉱あたりでの活躍が有名だった様です。
380両作られましたので活躍は全国的でした。しかし、重量の都合で、幹線以外では線路への負担が大きく使われませんでした。

そうしていよいよ(やっと)D51
D51 1.jpg
「D51」1936~1945年の間に1115両製造されました。(それ以外にも台湾向けサハリン向けにも作られました)
その第一陣、1号機~85、91~100がこの形状で製造されました。
86~90は国鉄浜松工場で、モデルチェンジ車の試作をしていたため、次の形に移行されました。

この機関車の上、煙突の所からすうっと長めの一つのこぶが乗っていますね。
この中には・・・
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これは上野にあるD51ですが、この機関車の正面のライトの後ろあたりに茶筒みたいなのが付いていますよね。それ「給水温器」って言うんです。
このD51はこの大きなこぶの中にこの茶筒の様な物とサンドドーム・スチームドームが入っているんです。

この形状が「なめくじ」の様だ。と言うことから、このタイプのD51の初期のこの形状を、そう呼ぶ様になったのです。

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これは、旧製品のKATOさんの「なめくじ」ですが・・・

DSCN8071 1_R.jpg
こんな感じですね。

でも、この茶筒みたいな物をこんな所に載せたために、重量バランスが悪くなり(ほかの要素もありましたが)
空転(スリップ)してしまうことなどが多くなり・・・
D51 100.jpg
途中から、この様な形状に変更されました。
これが皆さんも良くご存じのD51の形ですね。

さて、これで非鉄の方少し「鉄」寄りに近づいていただけたでしょうか?

ついでに、こんな蒸気機関車を・・・
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これ「9600」と言う、上で紹介している「D50」の前に作られていた蒸気機関車の模型なのですが・・・
青森で青函連絡船への貨車などの積み込みに使われていた機関車です。
蒸気機関車は黒い!!と言う日本人の常識からするとビックリしますよね。

大井川鉄道ではいま「トーマス」が走っています(最初に紹介したC11)詳しくは 大井川鉄道HPをご覧いただければ・・・イロイロと塗装されている国もあるんです。別に子供用番組の為に塗装されている訳ではありません。

これで、少しは「非鉄」の方、こちら寄りになれましたかね(笑)

近々、ポイントの世界にもご案内したいと思います。




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