松前線 青函トンネル [記念切符]
先日、いつもお邪魔している「魚澄庵日志」を拝見していた所、松前線のことに触れられていまして、どこかに準急の切符があった様な気がして探しました‥ありました。しかしさすがにS40(1965)の物であり状態はよくありませんが
ついでに、近場の青函トンネル関連の物も発掘して見ました。
まずは、急行券2枚。
「準急 まつまえ」 かすかな記憶ですが結構混んでいた覚えがあります。
この時には、父親の実家のある津軽の市浦村へ行き、帰りに叔母の住んでいる松前に寄った
‥途中の五所川原のバスターミナルでのバスの乗り降り
‥松前の宿泊先(叔母の家)は布団屋さんで、布団がたくさんあった記憶も‥‥このくらいの記憶です。
私が幼稚園の頃の切符です、確か兄が改札で渡し忘れた様な気がします。
ともかく、45年前の切符が良く残っていた、と、汚れ・キズは見逃してください。
もう一枚 7年後の急行券がありました。こちらの方の保存状態は良好でした。
S40の準急が¥100 S47年の急行が¥100 S40に急行はいくらだったのでしょうね。
せっかくですから、近くの話題の青函トンネル‥
開通ではなく「貫通」です。確かテレビ中継もしていた様な‥ビデオテープ(β)に撮ってあるのですが、現在デッキがありません(涙)
国鉄の記念切符です。大きい(長い)為に見づらいのですが、雰囲気を味わって下さい。
次に、函館市交通局です。焼物?で 真中に「貫通石」が入っています。
良く考えると、青函トンネルは函館の経済には良い影響はなかったと思うのですが、とにかく皆が、トンネル開通を待ち望んでいたのです。なったって、内地と陸続きになるのですから‥
とにかく貫通!その後、開通です。
「準急」に乗っているときに父親に「あそこから、青函トンネルを掘っているんだよ」(先進導坑?)と言われた記憶もありますが、どこら辺だったかはまったく覚えていません。
真中のポチッとあるのが「貫通石」最期の発破で崩れ落ちた所の岩盤(のハズです)
裏面に自分で使用日を記入して使う様になっています。
パンフレットの中で、先進導坑貫通 の日時が手書きで訂正されています。大変な作業だったでしょうね。
一体何人がこの記念切符を使用したのでしょう?
ついでに、近場の青函トンネル関連の物も発掘して見ました。
まずは、急行券2枚。
「準急 まつまえ」 かすかな記憶ですが結構混んでいた覚えがあります。
この時には、父親の実家のある津軽の市浦村へ行き、帰りに叔母の住んでいる松前に寄った
‥途中の五所川原のバスターミナルでのバスの乗り降り
‥松前の宿泊先(叔母の家)は布団屋さんで、布団がたくさんあった記憶も‥‥このくらいの記憶です。
私が幼稚園の頃の切符です、確か兄が改札で渡し忘れた様な気がします。
ともかく、45年前の切符が良く残っていた、と、汚れ・キズは見逃してください。
もう一枚 7年後の急行券がありました。こちらの方の保存状態は良好でした。
S40の準急が¥100 S47年の急行が¥100 S40に急行はいくらだったのでしょうね。
せっかくですから、近くの話題の青函トンネル‥
開通ではなく「貫通」です。確かテレビ中継もしていた様な‥ビデオテープ(β)に撮ってあるのですが、現在デッキがありません(涙)
国鉄の記念切符です。大きい(長い)為に見づらいのですが、雰囲気を味わって下さい。
次に、函館市交通局です。焼物?で 真中に「貫通石」が入っています。
良く考えると、青函トンネルは函館の経済には良い影響はなかったと思うのですが、とにかく皆が、トンネル開通を待ち望んでいたのです。なったって、内地と陸続きになるのですから‥
とにかく貫通!その後、開通です。
「準急」に乗っているときに父親に「あそこから、青函トンネルを掘っているんだよ」(先進導坑?)と言われた記憶もありますが、どこら辺だったかはまったく覚えていません。
真中のポチッとあるのが「貫通石」最期の発破で崩れ落ちた所の岩盤(のハズです)
裏面に自分で使用日を記入して使う様になっています。
パンフレットの中で、先進導坑貫通 の日時が手書きで訂正されています。大変な作業だったでしょうね。
一体何人がこの記念切符を使用したのでしょう?
2010-02-19 08:37
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コメント(12)
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松前線の貴重な切符、アップして頂き有難うございました。
私の頭の中では「準急・等級制」がありません。かの「ヨン・サン・トウ」で廃止されたのでしょうか。同年1月の時刻表にはまだ両者とも残っていますので……。
仮にそうだとすると、廃止当時の私は5歳であり、まあ記憶になくても仕方がないのかな、とも思います。
そんな次第から、「準急行券」は私には新鮮です。
松前線のことを記事にしてから、普段コメントを頂かない方から何度かメールやコメントを頂いています。何れも松前線に熱い思いを持つ方々で、如何に松前線が“生活”の一部であったかが偲ばれます。
by おさかな (2010-02-19 20:59)
もうだいぶ青森もごぶさたです。
青函トンネルはじめて通ったのはいつだったかなあ。
だいぶわくわくした記憶があります。
by しおつ (2010-02-19 22:36)
硬券、とっても懐かしいですね。
昔は普通に売られていて、北海道に行った時何枚か買いました。
昔は連絡船で渡っていましたが、トンネルができて数回いきました。
北海道はかなりご無沙汰しています。
by umi37- (2010-02-20 06:36)
おはようございます。
準急行券貴重ですね~
私も準急というのは記憶にありません。
初めて乗車したのはS44年頃の急行「ちとせ」だったように思います。
S40年だとキハ56も82もまだまだ新車の頃ですね。
青函トンネル、先進導坑貫通はテレビで見ていて感動しました。
関西に住んでいた頃に青函トンネルが完成し海峡線が開業したので、
一番列車の「日本海」を大阪駅に見送りに行きました。
「特急 日本海 函館」のサボにまたまた感動しました。
それにしても凄い土木工事ですよね~
by vanagon714 (2010-02-20 09:08)
青函トンネルは未経験です♪ (笑)
開通当時、私はまだ小学生だったのですが、ニュースでの記憶が残っています。
by CASCO事業部 J (2010-02-20 11:08)
準急行券は貴重です。
私も準急の記憶はありません。
我が家には、渡島知内、湯ノ里、千軒、渡島吉岡、松前の入場券と松前駅発行の木古内→100kmの急行券と函館車掌区の車内片道乗車券があります。
青函トンネルは1984年7月末に青森側の竜飛で掘削現場の見学に行きました。ヘルメットと長靴を貸与され、エレベーターで降りていきました。蒸し暑かった思い出があります。
記念に最深部で掘削した石を持ち帰りました。
by N市のT (2010-02-20 23:14)
おさかな さん おはようございます
キロに誇らしげに「1」をつけて走っているのを見た記憶はありますが、等級制の廃止、準急の廃止を具体的に知ったのはその後鉄道誌を読む様になってからです。
準急の言葉はJRでこそ今はありませんが、私鉄では現役ですね、
ただ国鉄の準急が無くなってから40年以上経ってるとは驚きです。
by suzuran6 (2010-02-21 07:53)
しおつ おはようございます
私の青函トンネル初体験は「スーパー白鳥」ですからずいぶん遅くにでした。ずいぶんおじさんになってからですが、窓にかじりつきで真っ暗なトンネル内をずぅっと見ていました。(笑)
by suzuran6 (2010-02-21 08:06)
umi37- さん おはようございます
硬券を探すに一苦労するようになってしまっています。
主要の駅位置いてあるといい記念になるのですけどね。
by suzuran6 (2010-02-21 08:26)
vanagon714 さん おはようございます
このときの車両は急行色でなかった事は覚えています。子供心に急行色の車両は憧れのひとつでしたから‥それと車内の真ん中あたりの排気筒の出っ張りの記憶があります。(兄にあれ何?と聞いた記憶が‥)
おそらくキハ21 もしかすると キハ17あたりでしょうか‥
初めて上野で「札幌行」を見たのは「あさま」で長野へ出張に行く時でしたが、いきなり見た札幌の文字に「乗ってしまいたい」と強く思ったことを想い出します。
by suzuran6 (2010-02-21 08:51)
CASCO事業部 J さん おはようございます
青函トンネル‥
EF510 500牽引の「北斗星」で体験してみては‥
by suzuran6 (2010-02-21 08:59)
N市のT さん おはようございます
幸運にも残った「準急行券」だと思います。
開通までの間に見学会などありましたね。湿度100%で蒸し暑いとの話は良く聞きました。しかし行動力が無く‥
貴重な体験羨ましい限りです。
by suzuran6 (2010-02-21 09:29)